先月から始めたバイトはベーグルショップの店員だ。
駅ビルに新しくできた総菜や食料品中心のフロアにあるベーグルショップで、工場から運ばれてくるベーグルを売ったり、カウンターに数席だけあるイートインスペース用に、簡単なディップやサンドを施して提供したりもする。コーヒーはマシンで入れてしまうから出すだけでいいし、洗う食器の数も他に今までやってきたバイトと比べればたかがしれた量だ。ランチの時以外はバイト2人で切り盛りできるそこそこ儲かってる適度に忙しいけど楽なたぐいの仕事だった。
9時に店を閉める前に、ふと思い立って、店長にこう聞いた。
「あのー。俺、これから友達に夜食持ってきたいから、ちゃんと金払うんでオーダー入れていいですか?」
俺の言葉を店長は快く承諾してくれたので、お言葉に甘えてケースから取り出したクルミとイチジクのベーグルを半分にスライスして、明太子を和えたクリームチーズを塗ったあと、スモークサーモンを乗せ、更にブラックオリーブを飾ってサンドし終える。
俺がそれを満足げに店のロゴが入ったオイルペーパーにくるんでいると、店長が『食い盛りがそれじゃ足りないだろう』と言って昨日の残りのベーグルを袋いっぱいに入れてくれた。
「明日、おまえ、誕生日だろう?これは、俺からのサービスだ」
そう言われて、あっ!と思った。
今日の昼間、久々に学校であった海馬の、もの言いたげに閉じられた唇を思い出す。
***
『…明日は暇か?』
購買から帰ってくると、珍しく俺の席に近づいてきた海馬が、いきなりそんなことを聞くからびっくりした。だいたい、学校で話しかけてくるのなんて初めてじゃねーのか。
「え?明日?!」
軽くパニック状態の頭で明日の予定を思い返す。明日の夜は、オフクロと静香が検査のついでにコッチに出てくるから、晩飯でも食べようと誘われていた。
「…あー…明日はゴメン、無理」
なんでこいつは、こんな風にまっすぐ相手を見るんだろう。
本当は二つ返事でOKしたかったのに、口から出たのはそんな言葉で、ちょっとムッとした顔をした海馬は、「…別に、ならかまわん」と短く返事をして、そのまま教室を出て行ってしまった。
「?」
………なんか、俺、悪いことしたかな?
そう考えてもなんも浮かんでこない。
そのまま海馬は教室に戻ってこなかった。
***
馬鹿みたいに間抜けな話だけど、俺は自分の誕生日なんてすっかり忘れてたのだ。
毎年そうなんだけど、当日になってから誰かに誕生日プレゼントを渡されて思い出すんだよな。そういえば明日の約束を電話でしたときの静香が受話器の向こう側でやたらくすくす笑っていたっけな。
オフクロと静香が急に食事なんて言ってきたのも、やっと合点がいった。
俺は軽くため息をついて、着替え終わった学ラン姿で、レジ横に置かれた紙袋を手に取る。
更衣室から携帯で海馬に電話をしたら、あいつはやっぱりまだ仕事をしてて、夜食を持って遊びに行くことを許可して貰った。頭の中は、さっき店長に言われてやっと自分にとっての”明日”に意味があること気付いたお陰で、昼間の海馬とのやりとりばっかりが鳴りやまずにリフレインしていた。
海馬は何を言おうとしたんだろう。
なにが言いたかったんだろう。
そう思ったから、夜食をもってあのビルの最上階に寄って帰ろうと思ったのだ。あの時『明日は暇だけど』と言ったら、俺は何がもらえたんだろう?
俺と海馬は別に恋人同士でもなければ、友達ですらない。
ほんの少し前までは、それ以前の問題だったのが、ここに来て事態は思いがけない展開を見せつつある。正直、自分は海馬に対して、やましい感情をかなり抱きつつあるわけで…だから、本当は用もないくせに、こうやってせこせこしたアプローチを重ねてるんだ。
随分、都合のいい妄想が頭をよぎる。
まさか、ね。
なんだか急に熱くなった頬を隠すみたいにコートのフードを深く被ると、俺はあいつがいるであろう、この街で一番高いあの建物を目指して白い息を弾ませながら走り出した。
頭の中で繰り広げられてる幸せな妄想が、一個くらい現実にならないかな?と大それたことを考えながら 年に一度の誕生日なんだから、そんな甘い時間を願うくらいは、許して欲しいと言い訳するみたいに。
THE END
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