HAPPY BIRTHDAY SETO !

 

 
acorn
 
 10月も終わりに近づくと、不意に思い出すことがある。
 
「もうすぐ兄サマの誕生日だよね!」
 
 弟が、そう嬉しそうに口にしながらニコニコ笑う。
 まるで自分の誕生日のことを話すみたいな姿を見ると、思い出すんだ。オレがまだ今のモクバよりも背が低かった頃。
 
 そう、あれはモクバと二人で過ごした施設での出来事だ。
 
* * *
 
『…ごめんなさい。ごめんなさい』
 
 あの頃のモクバはそれが口癖だった。
 身ぐるみ剥がれるように生まれた家を追われ、親戚の家を転々とした。居場所がない場所に帰らなければいけないことが、子供にとってどんなに辛いことなのか、味あわなければ、きっと理解することは出来ないだろう。
 子供はすぐに熱を出すんだ。
 嫌な大人しかいない親戚の家でも、あの施設でも、小さいモクバが熱を出すと、うわごとみたいにそう言ってたのを思い出す。
『モクバは悪くなんかないよ。ゆっくり寝ないとよくならないよ』
 枕元で手を握る自分にも小さな弟は謝罪の言葉を繰り返す。
 
『兄サマ、ごめんね。今日は兄サマの誕生日なのに』
 
 目を涙でいっぱいにして、熱で顔の赤い弟が布団に横たわってそんなことを言う。小さな弟は、オレの誕生日だからといって、公園で木の実を拾っていたらしい。ブナや椎の木から落ちたドングリを拾ってボロ布で磨くと茶色く綺麗に光るのだ。モクバは朝早くから、沢山落ちる実の中から大きくて綺麗な実ばかりを集めて来たらしい。途中でパラパラと雨が降り出し、学校から帰ってきてきても施設に姿が見えないモクバを探しに公園に行ったら、藤棚の下のベンチにグッタリと横たわってるモクバの姿を見つけて血の気が引いた。
『モクバ?モクバ!!』
 弟の名前を呼びながら触ったその身体の熱かったことが忘れられない。
 あの夜は一晩中ずっとモクバの側にいた。施設の二段ベッドの、下の段がモクバのベッドで、オレはパジャマ姿のままその床に膝をつくように、モクバの顔を見ながら熱い手を握っていた。
 あの場所にはオレの他にそうやってモクバを見守ってくれる人間なんて誰もいなかったから。
 
『誕生日なんてどうでもいいから。モクバが元気でいてくれたらそれでいいから』
 
* * *
 
 誕生日、と聞くと、あの心細さを思い出す。
 自分が握った熱を帯びた小さなモクバの手を思い出す。
 
『一番の親不孝はね、親よりも先に逝ってしまうことよ。瀬人』
 
 そしてモクバの手を握りながら、かつて自分もその時のモクバのように、枕元で手を握られた夜があったことを思い出した。
 記憶に淡く残っていたのは、あの時涙声で囁かれた、幼い頭では理解しきれなかったそのひとこと。
 
 …では少なくとも、最大の親不孝は免れたというわけだ。オレも、モクバも。
 
 生まれた家を追われてから、なんどもそのことを考えた。じゃあこんな、なんの力も持たずに残された子供はなにを呪えばいいのだろう。正直、何度あの言葉を思い出しながら、オレは苦い気持ちになっただろう。
 
 でもあの日、あの冷たい床の上で、火がついたように熱い小さな子供の手を握りしめながら、その言葉を思い出した時、その言葉に親の愛情のあり方を思い知った。
 
 …モクバを連れて行かないでくれ。オレから取り上げないでくれ。
 
 この小さな手が、逞しく成長する姿を、見守ることが出来ないと言われたら、自分はどうしたらいいんだろう。
 オレが親不孝な子供でないというのなら、それならばどうかこの子を救ってくれと思った。誕生日プレゼントなんてオレはなにもいらないから、ただこの子を連れて行かないでくれと祈った。
 
 どんなに思い出してみても、あれほど欲しいと思ったものはない。
 
 オレは力が欲しかった。
 オレは未来が欲しかった。
 
 …この小さな弟が、ちゃんと大きく成長するその姿を見届けるために、オレは手段を選ばない自分をあの時、知ってしまった。
 
* * *
 
 海馬の家にモクバと養子にやってきて、もう七年。小さかった弟はもうすぐ中学生になる。オレ達を支配していた豚がいなくなった邸を、昼間はあの子供が支配する。名前を呼びながら指示を待つ家の者達に、いっぱしの王様のように手際よく、そして効率のいい仕事を各自に命じていく。だからこそメイド達はこぞって”お伺い”をモクバに立てるのだろう。
 
「なんだか兄サマには気後れしちゃうんだって」
 
 オレの前では言い訳のようにそう言っても、日増しにそういう姿は板に付いていく。
 この前まで、あんなに小さかった子供が。
 目を細めてそう思う。そして自分が満たされていくのを感じる。 
 
「ねぇ、兄サマ。今年の誕生日プレゼントなんだけど…」
 
 そう言いながら、モクバが部屋に入ってくる。
「本当に今年もコレでいいの?」
 そう言って、差し出されたのは、ビロードの布にくるんだ焦げ茶色にきらきら光るどんぐりだった。
「そう約束したな」
 
* * *
 
『これね。こうやって磨くと綺麗に光るの。兄サマの髪の色と一緒なんだよ』
 
 熱を出した翌日、熱の下がったモクバは布団の中で、雨の中で拾い集めたどんぐりを綺麗に磨きながらオレにそう言った。
 そんなことのために熱を出したのかと思うと怒りたい気持ちの方が大きかったが、オレはモクバの熱が下がった嬉しさで、その身体をギュッと抱きしめた。
『…こんなのしかあげれなくてごめんなさい』
 腕の中で寂しそうにそう言う弟が、今日もちゃんとここにいてくれることに感謝した。
 
『じゃあ毎年この実を届けてくれ。オレの側にいる限り、誕生日になる度に』
 
 …その約束をモクバはずっと守り続けた。あの後すぐに海馬の家に貰われてきて、豚の支配下に置かれたオレは、次第に大切なことを忘れていった。いつも傍らにモクバがいてくれるということが、どんなに大切なのか。オレがそんな心を無くしてしまってからも、モクバは毎年どんぐりを拾った。そしてそれをまるで宝石のように綺麗に磨いて一人で庭に埋めていった。
 施設での最後の誕生日の後、あの質素な庭にモクバが磨いたどんぐりを二人で埋めたことをちゃんと憶えていたらしい。
『どんぐりは横にして埋めてやるんだ。この尖ったところから芽と根の両方が出るからね』
 オレがそう言いながら、プラスチックのスコップで掘った土をかけたのを、小さな子供はずっと憶えていたと。
 
* * *
 
 今は二人でこの邸の庭にその実を埋める。
 椎やブナの木が生い茂る庭の、その日当たりの良さそうな場所に茶色く輝く実を埋めると、満足そうな笑顔で、もう随分と大人びた弟がこう言うのだ。
 
「兄サマ、お誕生日おめでとう!」
 
こうして少しずつ大きくなるおまえと、また今年もこうやってどんぐりを埋めれたことが、なによりの祝福だということを、いつの日か知るのだろうか?
 
 今はまだ子供の領域にいる。
 この愛しい弟もまた。
 
 
 
the end
 
 
 

 



 2003.10.29