bathtub
 
『貴様がそうやってシーツやバスタブを綺麗にしたところで、俺とそういうことをしたという事実が消えたりはしないぞ』

 この屋敷で『そういうこと』をした後は、必ずバスルームでそのシーツと枕カバーを洗い、最後に磨き上げたバスタブの栓を抜いて水を流す俺に向かって海馬はそんなことを言う。
  明らかに気にくわないという顔で、露骨なくらい不愉快そうな尖った口調で。

 別に俺は潔癖性なわけじゃない。

 たとえばここが自分の家で、あの身体を組み敷いたのがあの狭い二段ベッドだったらこんなことはしないんだ。
  汚れが乾いて染みになったシーツとか、汗で湿った枕カバーとか、昨日俺が海馬にしたことの証拠になるようなものは全部、そのままにしておけば、朝にやってきたメイドさんがくるくるとまとめて大きな洗濯かごに入れて回収していくのを知っている。
  一番はじめにあのベッドで海馬を抱いた翌朝、遅い朝食をリビングで食べている間に、あのシーツも枕カバーも全部、綺麗で清潔なものに取り替えられていたことを思い出す。

 まるで酔いが覚めたみたいな気分だった。
  全部、夢にされたみたいだと思ったなんて、俺がそんなことを言ったらおまえは、一体どんな顔をするだろう。

  ゆっくりと渦をまきながら、バスタブに残っていたお湯が全部排水溝の穴へと吸い込まれていく。
  洗った洗濯物は全部バスルームの脇にあるランドリーボックスに入れておく。明日の朝になればいつもどおり回収されて、もっと綺麗に洗い直されるだろう。

                それで何が変わるわけじゃない。事実は消えない。

 ただ、海馬はなにも分かってない。
  俺がこうすることで別に何を消したいわけでもないことを、海馬は一生理解しないのかもしれない。

 そんなことを考えながら、俺はスポンジに洗剤をつけて、すべての用を済ませたバスタブを洗い出した。黒が基調になっているバスルームは、それだけで俺の部屋くらいあるんじゃないかという広さがあって、青白い不思議な色合いのライトの光のせいで、自分の肌の色が微妙に違って見える。一緒に風呂にはいるとかってしたことはなかったけど、なかなかバスルームから出てこない海馬が気になって中に入ったことなら何度かあった。
  服を着たまま靴下だけを脱ぎ捨てて、バスタブに身を沈める海馬に近寄ると、『悪趣味だな』とそっぽを向かれた。薄青い光があたって、ぼんやりと黒い背景に白く浮かび上がるうなじが瞼に残る。濡れた茶色い髪が幾筋かそこにかかっていたのを思い出す。あるいはうっすらと古い傷が残っているやっぱり真っ白の肩胛骨。のぼせた肌は熱を帯びて、薄い傷跡はほんのりとピンク色っぽく浮かぶ。
  背中から首筋に唇を押しつけて、服が濡れるのなんて気にしないで両腕であの身体を絡め取りたいと思う。

 本当はいつもそんなことばかり考えてるんだ。
  そんな俺をもしかしたら海馬は知らないのかもしれない。だからあんなことを言うんだ。

『貴様がそうやってシーツやバスタブを綺麗にしたところで、俺とそういうことをしたという事実が消えたりはしない』

               消したいんじゃない、隠したいんだ。

 そう言い返したら、おまえはどんな顔すんのかな?

 汚れたシーツを見てるだけで鮮明に思い出す。
  あの白い太腿とか、妙に色っぽい鎖骨とか、語尾が震える強がりとか、浮かんでくるイメージ全部。

 そういったものを自分一人のものにしたいから、真夜中のバスルームでこんなことをしてるんだ。そんな本音、照れくさくて、恥ずかしくて、かっこわるくて、多分一生口にはしないけど。

「おい」

 洗い終わったバスタブに新しいお湯を張り終わって、立ち上がろうとした瞬間に背中から声が掛かる。振り返ると、白い薄手のバスローブを身にまとった海馬が腕を組んでそこに立っていた。

「シャワーが浴びたい。用が済んだならさっさとそこを退け」

 そういって睨みつけてくる。
  綺麗な青い目が、まるで燃えるみたいにパチパチした感情を帯びていた。
「じゃあそれ脱いでこっちに来いよ。身体洗ってやるから」
  わざと挑戦的な口調でそう言いながら俺は笑みを浮かべた。そんな風に挑発したら、いつだって海馬は引き下がれなくなる。それをいやというほど知ってたからこそ仕掛けてやった。

「俺は洗濯物じゃない!」

 海馬がそういったのがおかしくて声を出して笑った。
  それに怒って平手で撲とうとした海馬の腕を掴もうとして、そのまま俺はバスタブになみなみと張られた湯の中へ、海馬を道連れにドボンと派手な音を立てて沈んだ。
「…!」
  目を丸くして怒りに満ちた顔を俺に向ける海馬が口を開く前に、俺はその唇をちゅっと吸うみたいなキスをした。海馬の濡れたバスローブをひん剥いたら、ほの青い光に照らされた白い肌がエロくて、そのままバスタブに溺れるみたいに身体を絡ませながら競うみたいにお互いの唇を貪った。

               なんど洗濯してもとれないくらい、俺のつけた跡がこの肌に残ればいいのに。

 そんな台詞を睦言みたいに、この茶色い髪からはみ出した耳に囁いたら、海馬はいったいどんな顔をするんだろう。白い背中に未だにうっすら残っている、古い疵を指で撫でながらそんなことを考えていた。

『全部消えずにここに残ればいいのに。おまえとしたすべての事実が消えないように。』

 まるで呪文のように、そんな思いが頭の中でリフレインする。
  確かにそう願いながら、狭いバスタブの中で俺は何度も海馬にキスを繰り返した。

               多分、そうし続ければいつかその願いが叶うとでもいいたそうな顔をしながら。


 

2004/7