砂漠に咲く花
 
 毎年、童実野港では、7月の第3土曜に大掛かりな花火大会が開かれる。

 遠くから観光客が沢山訪れる町をあげての一大イベントだから、童実野町に住んでる子供は毎年夏休み前のこの時期になるとソワソワする。だってあんなに屋台が出るようなイベントは他にないんだもん!
 まぁ屋台だけじゃなくて花火自体もすごいんだけどね。
初めの一時間は沖合の小島から上がる普通の打ち上げ花火が続くんだけど、中盤以降は水中花火の競演が始まる。これがすごく綺麗でボクは子供の頃から大好き!水中花火っていうのは、ようは花火玉を高速船から水中に投げ込む手法で、海上に大きな花火が半円状に美しく開くんだ。岸から近いところを高速船が走ってるから、港一帯に花火の大きな振動が響いて迫力満点!この日ばかりは港近くの道路はすべて閉鎖されて歩行者天国に早変わりする。
 僕の家も港から比較的近くにあるから、じいちゃんの店の前も、夕方には歩行者天国の一部になってしまう。だから今日はウチも稼ぎ時なんだ。だって孫の手を引くおじいちゃんとかがいっぱいおもちゃ屋の前を通るんだからさ(笑)。
 今日は夕方まで店の手伝いをした後は、じいちゃんが遊びに行っていいと言ってくれたから、杏子や獏良君達を呼んで花火大会を観に行くことにした。待ち合わせはじいちゃんの店の前に夕方六時。
 僕が杏子以外の友達と一緒に花火に行くのは今年が初めてだから、張り切ったお母さんが新しい浴衣を用意してくれた。高校生にもなって紺の金魚柄なんてイヤだって言ったのに、半ば無理矢理着せられた・・・。紺の帯を貝の口に締められて、下駄と一緒に玄関に放り出された!お母さんひどい!
 
「あー・・・もうすっごいブルー!」
 待ち合わせした店の前で、浴衣と同じ金魚柄の団扇で顔を隠すみたいにしてボクはしゃがみ込んだ。
(どうした相棒)
 まだ時間があるから当分誰も来ないんだろうなぁと思っていたら、もう一人のボクが不思議そうな顔でボクを覗き込んだ。
「どうしたこうしたもないよ〜こんな子供っぽい浴衣着てたら笑われちゃうって!」
 それでも、ここのところずっと元気のなかった彼が自分から話し掛けてくれるのは久々だったから、ボクは必要以上に戯けてみせる。
(・・・今日は城之内君は        
 ちょっと躊躇うような口調。
「来れないって電話あったじゃない。その電話出たの、キミでしょ?」
 ボクはなんとなく来れない理由がわかっていて、もう一人のボクも多分気づいてる。だから最近元気がない。そりゃあボクだって、違う意味でそんなに面白い理由ではないけどね。でもキミがそんなふうなことのほうがボクをウンザリさせてることをキミはきっと知らないままでいる。
 
***
 
「そろそろ水中花火始まんじゃねーか?」
 腕時計を観ながら本田君がそう言った。
 御伽君と獏良君はさっきから線香花火耐久戦を延々続けていた。
 なぜか二人とも浴衣姿で、御伽君は自分で着付けたのだといい、獏良君は実家から直接来たからついでに着付けて貰ってきたのだと言った。
「あ。本当だわ。そろそろ港の方に移動する?」
 ボクの横で麦穂のように光の粉を流す花火を手にした杏子がそういう。
 杏子の浴衣はボクとは色違いの金魚柄だったので、ボクはそれをみてちょっと機嫌をよくした。だってお揃いみたいだもんね。
(相棒、水中花火ってなんだ?)
 花火自体、観るのが初めてだというもう一人のボクがそう訊いてくる。
「船から花火を海面に投げるんだ。綺麗だよ?」
 そう言って、じゃあ変わってあげる。と、意識の表側からスッと身を引いた。
「遊戯、行こう」
 杏子がボクの手を引っぱった。
「・・・ああ。」
 ちょっとおっかなそうな顔をしてるボクが面白い。本当はさっきも変わろうとしたんだけど、ビックリして線香花火を下駄の上に落としそうになったから、危なっかしくてすぐ止めたんだよねー。
 
「ぎゃー!!!」
 御伽君が絶叫する。
 ボク達は、一番人が多いフェリーの乗り場からちょっと離れた埠頭に、停泊中の船舶の間を縫うような絶好の観覧スポットを発見して、その柵にもたれ掛かって水中花火を観ていた。花火がなるたびに、少し遅れてドォン!ドォン!ドォン!とまるで地鳴りみたいに地面が揺れているのがわかる。
 
「御伽ィ、ウルセェよ!」
 本田君がはしゃぐ御伽君の頭を抱え込んで小突いている。
 もう一人のボクは動けなくなっているのがわかった・・・水面に半円の形で開く花火は、水面にキラキラ映ってゆるい円形に見える。少し花火の煙が風にのって来たせいで、横に立っていた杏子がゴホゴホと咳き込んだ。
「杏子。大丈夫か?」
 ふと我に返ったように、そういって杏子の顔を覗き込むボク。
「ごめ、遊戯。ちょっと私、戻って飲むものでも買ってくる。戻ってくるから隣、キープしておいてね。」
 目をぬぐうようにして杏子はフェリー乗り場の方に出てる出店のほうに走っていった。
 
***
 
 杏子が戻ってこないので、相棒に促されるまま、水平線に咲くかがり火みたいな光の花をじっと眺めていた。
 花が咲いた後、少しずれるようにして、ドーンと地鳴りがする。
 キャーッと女子供の歓声が辺りに響き渡った。
(”花火”っていうんだよ。綺麗でしょ?)
 さっき相棒にそう言われた。
 そう言いながら火花の吹き出す枝を持たされてビックリすると笑われた。オレがどうして沈んでいるのか理解してる相棒は、なんとか元気づけようと必死なのがむしろ余計に辛かった。
「ヨォ王サマ。なに黙り込んでるんだよ」
 明らかにさっきまでと違う表情のバクラが杏子一人分の空白にスルリと入り込んでくる。
 
「・・・おまえか」
 ため息混じりにそう言うと、バクラは苦笑した。
 縞の浴衣の裾が気になるのか着心地が悪そうな顔をして何度も下駄をカタカタいわせた。
「なんか面白そうだかったら宿主様にはちょっとお眠り頂いた。なんだ、これ。日本は正月でもないのに花火なんかするんだな」
 そう話す間にも、幾つも夜空を焦がす花火が海面に投げ込まれる。
「エジプトにもこんなのあったか?」
 コイツはオレみたいに三千年もの記憶が抜け落ちてるワケじゃないから、オレよりも多くのことを見知っている。オレの知らないオレのことも、コイツは知っているのだろう。
「エジプトじゃクリスマスと正月くらいじゃねぇのかなぁ・・・大体なんだアレ、手で持つヤツ。ダイナマイトの導火線みたいで落ちつかねぇっつの」
 同じ感想を持っていたことに苦笑する。といってもダイナマイトの導火線を生で観たことがあるわけじゃないが。
 おかしなもんだな、と苦笑する。
 こうやってオレ達がお互い表に出た状態で会話することはそうはない。オレの心の中でならまだしも、だ。
 
「・・・なぁ王サマ」
 次から次へと咲いては散る、赤・白・黄色・青・緑。
「なんだ?」
 オレの肩にポンと手を置くバクラの身長は、オレが手を伸ばすよりも高いのが癪だった。
「ああいうのオレらの国の砂漠でやったら面白いと思わねぇ?」
 手を退けろと言おうとして見上げたバクラの横顔はまるで夢見るように甘くてギョッとした。
 地平線の果てまで続く黄金の砂。真昼なら青い空と地平線が見えるが、夜ともなると、砂漠という世界はあっさりと暗闇に飲まれてしまう。
 新月に近ければ幾千幾百の星が見上げた天にさざめくように光るだろうし、満月の夜なら足下の黄金の砂をチラチラと輝かせるだろう。
 確かにあれだけ濃い闇にこんな眩い光の花が咲いたらどんなに美しいかと思う。あの静寂にこの爆音が鳴り響いたらさぞ盛観だろうな、と苦笑した。
「・・・帰りたいか?」
 なにげにそう訊いた。
 バクラは笑顔が喉元で氷ったみたいな顔でオレを観た。
 
       どこに?」
 それは皮肉とは違う透明な疑問符。
 
 そう言われて、オレも言葉を失った。
 いったいどこに?エジプトに?それとも三千年の時の向こうに?
 彼は漂っていく者。千年リングに絡め取られた魂。現世と共に来世を失いし盗賊という罪人。
「オレは今はただここにあるだけの”残された意思”だ、それは王サマが一番わかってるだろ?」
 
 むしろ、アンタだけが。
 
 そうバクラが続けた言葉はこんなにも苦く耳に響く。
 すべて忘れているはずなのに、あまりに鮮やかに浮かんだ砂漠の夜空に花咲く光景。
 何か言おうとした瞬間、カッと辺りが白くなる気がするくらいに眩しい光が海に放たれた。ドォン、と一段と大きな音がその光のシャワーの後に続いた。
「ちょっとぉ。獏良君、そこは私の場所ー!」
 次の瞬間、両手にりんご飴を沢山持った杏子が笑顔で現れた。
 瞬間、バクラの雰囲気が一変した。張りつめた空気もスッと溶けるのがわかった。
「ああ。ごめんごめん。空いてたらつい、ね」
 嘘くさい笑顔で、どうぞ、とエスコートするみたいな仕草で場所を退いた。
「冗談だってば(笑)。はい、好きなのとって」
 そう言って両手にした割り箸と竹串を獏良の前に差し出した。
「・・・なにこれ?」
 割り箸や竹串には色とりどりの飴にコーティングされたものが刺さっている
「うーんとねぇ。リンゴ飴に葡萄飴に蜜柑飴にパイン飴かなぁ・・・売ってたのをひとつずつ買ってみたのよ」
 ああ、でもリンゴ飴は私のだからねー!と笑う杏子の無邪気さに、なんだか救われたような気がしたのだ。獏良はニコニコしながら葡萄が刺さった竹串を受け取っていた。(なに?なに?)(ゴチになりまーす!)と他の二人も寄ってきて、にわかに騒がしくなる。
「あ。遊戯は蜜柑好きでしょ?はい」
「ありがとう」
 そういって割り箸に丸ごと刺さった蜜柑を差し出されたから素直に受け取った。ツヤツヤした飴の表面に歯を立てると、酸っぱい蜜柑の果汁が溢れた。
「あ。フィナーレが始まる!」
 水平線に一斉に幾つもの半円の花火が開く。
 その玉を海に投げ入れている高速船が走る音が微かにしたかと思うと、幾つもの爆音が耳の底でこだました。
 それにかき消されそうになる鼓膜より奥にさっきのバクラの声が確かに刻まれている気がした。
 
       どこに? 
 
 それは自分の胸にオウム返しで突きつけられた疑問符みたいだと、そう思い至って思わす眩い光に目を細めるフリをしてそっと苦笑する。


       
その瞬間、心に思い描いたのは砂漠に咲く明るい光の花だったのかもしれない。

(どうしたの?なにが哀しいの?)
 沈んだ心を読みとった相棒が、驚いてそう訊いてきたから、なんでもないゼ、とオレは心に浮かんだ寂しい花火を胸の奥に閉じこめる。
 その瞬間、顔を上げると少し離れた場所にいたバクラの顔が目に入った       
まるで共犯者みたいな顔をして、口の端だけで笑うあの冷たい盗賊の笑顔が。

 

 
the end