| 「ねぇ、了。換気扇の風、もっと強くしてよ」
僕が自分の部屋でバリを落としたばかりのキャストにエアスプレーでペイントしだすと、その机の横で壁に凭れながらマニキュアを塗っていた妹がそう言う。
「んー…」
生返事を返していると、ムッとしたのか天音は足の指で床置きにしてあるサーキュレーターを強風にした。
「天音!」
パラパラパラ…っと机に散乱していた紙ヤスリの切れ端が、勢いよく舞い上がる。僕は塗装したてのパーツを守るようにしながら、妹の名前を呼んだ。
「了ぉー早くぅー。この部屋、シンナー臭いよぉ!」
全然悪びれないその声に、僕はため息混じりで換気扇を全開にした。
* * *
「だって了が悪いのよ。私の言うことちゃんと聞いてくれないんだもん」
ショートパンツにキャミソールを着て、三角座りをする妹。膝下がすらりと伸びた白い足先、自分と同じ、丸みを帯びた爪に僕は慎重にマニキュアの筆を運ぶ。
「これ、フレンチは何色?」
少し濃いめのパールの入ったピンク色を親指からゆっくりと塗りながらそう聞いた。
普段は煩くて黙ってることが少ない妹も、このときだけはやけに静かになる。
まるで息を詰めるようにして、僕がそっと指ですくい上げている自分の足の爪を見ているから。
「スネイル#70。ほら、そこのちょっとだけ青っぽいパウダーラメが入ってるヤツ…スマイルラインはこんな風にクリスタルのストーンを並べてね」
そう言いながら、自分で塗り終わった手の指を10本並べて僕の目の前に差し出した。
パールピンクの僅かな色味が違う2色で塗り分けられた爪。境界線の緩やかなカーブには、丸い綺麗な石が貼り付けてある。右手のラインストーンはまだ終わっていない。足が終わったら僕にさせるつもりでいるんだろう。
「本当は一人で出来るくせに」
いつもそう言うけど、そんなときだけ天音は「だってお兄ちゃんのほうが上手いじゃない?」と呼び捨てじゃない呼び方で僕を呼んだ。
それは金曜の夜の儀式。
兄妹二人の晩ご飯を食べ終わった妹は、残業でまだ帰ってこない両親の目を盗んで夜の街へと繰り出す。
自分の部屋の鍵を内側から閉めて、ベランダ越しに僕の部屋に入ってきて、玄関から堂々と遊びに行ってしまうんだ。間抜けな両親は、15才になったばかりの妹のベッドがからっぽだなんて思いもしない。午前様で帰ってきて、寝ている子供を起こす理由がないせいもある。
* * *
「おい、了。起きろ」
耳の後ろ側で自分を呼ぶ自分の声がする。…なんて、頭がおかしい人間みたいだよね。
「んー…?」
大きなクッションを抱えたまま、床で眠っていた。
「なんだ、キミか」
僕がそう言うと、「起きろ」とでも言いたげに、仏頂面の自分が手を差し伸べてきた。
「なんだじゃねぇよ。何だ、コレ」
そう言いながら自分の両手を僕の目の前に差し出してきた。
10本綺麗に並んだ指先には、濃さの違うピンクのフレンチネイルとクリスタルストーン。
「ああ。綺麗に塗れたと思わない?」
自分の右手に左手でキラキラを貼り付けていくのってムズかしいんだ。左手でピンセットを使うから。
自分の爪をじっと見てから、床にまだ座った僕の目の前に立ってるあいつの足の爪を見る。うん、綺麗に塗れた。これなら天音も煩く言わないだろうなってくらいには。
「あのなぁ…オレ様、コンビニですごい恥をかいたんだぞ」
悪霊のクセにコンビニに行く、悪霊のクセに僕に説教をする。
もしもこれが僕じゃなくて天音だったら、こんなヤツ、簡単に尻に敷いちゃうんだろうな。
「角のコンビニの深夜バイト、なんて言ったかわかるか?オマエ」
そう言われてもわからない。僕はこんな夜中にコンビニに行ったりしないから。
だってそんなの面倒くさいじゃないか。
「さぁ。なんていったの?」
『了はいっつもそうなんだから!たまには夜遊びも楽しいのに』
そういえばよくそんなことを言われた。でも天音みたいなのは、たまにって言わないんだよ。
「釣り銭渡しながら、”すごく綺麗な手ですね”だとさ。悪寒が走ったぜ」
その台詞を聞きながら、あー。今日はちゃんとお金払ってきたんだーとか思う。
「それは災難だったね」
そう言ってもう一度クッションを手に床に寝転がって瞼を閉じた。
「こら、まだ寝るなって」
咎めるような声と一緒に、頬に冷たいなにかが押しつけられた。
「?」
驚いて目を開けるとそこには、アイスのカップがあった。
「ほら、テメェも食え」
黒葡萄のソルベ、と書かれたカップを受け取って起きあがる。目の前のあいつもまるで同じアイスのカップを手にしていた。
同じ顔をして、同じような時間に、同じようなことをする。
まるでデジャヴだと思う。
天音はいつも、夜中のコンビニで同じアイスを二つ買ってきた。どうせ二つ買ってくるなら違うのを買ってくればいいのに、と僕が言うと、「だってこれが好きなのよ」と言った。だから未だに真崎さんなんかが、違うアイスを「一口ちょうだい」といつも言ってるのを聞くと不思議な気持ちになるんだ。
「同じの買ってきたの?」
「うるせぇ。これが一番旨いんだよ」
僕は返ってきた言葉に口元を弛めてアイスの蓋を開けて、プラスチックのスプーンで葡萄色のソルベをそっとすくう。そのスプーンを持つ僕の指にも、あいつと同じ、ピンクのマニキュアがキラキラしている。
ヒンヤリと口に広がったのは、ボジョレーっぽい大人びた甘い葡萄の味だった。
THE END
2005.7.2
text by:MAERI.KAWATOH
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