「デブのバカ!」
 
 もうたまらなく悔しくて哀しくて。
 僕は泣きながら家路を急いでいた。みんなで行った放課後の童実野美術館。壁画の前で消えてしまったもう一人の遊戯君の後を追って、残された遊戯君の意識の中に入るということになった時、僕だけがあの輪の中から弾き出された。あの突然現れたデブの外人の言葉が耳にまとわりつく。
 
         でも僕の時だけ千年秤が傾いたのはどうしようもない事実で。
 
 その訳はきっとアイツに決まってるのに、こんなのってひどい。僕だけ置いていっちゃうみんなもちょっと酷いと思った。そう思った瞬間、僕はふいに思いだすように自分の左手の掌を見た。
 
* * *
 
 指を開いた左手の掌の中央。
 そこには小さな四つ葉のクローバーが入れ墨のように刻まれている。まるでポン、と掌に載せられたみたいに。
 
『左手の掌だけは誰にも見られてはならない』
 
 まるで独り言のように心の中で呟いた。
 そう呟きながら僕はギュッと握りしめていた掌をゆっくりと開く。
 いつからあるのかは憶えてないけど、これは僕にしか見えない四つ葉のクローバー。
 
 普段は気にとめやしないけど、時折、思いだしたように左手を開いてみる。そこにはまるでついさっきシロツメクサの茂みからつみ取ってきたかのようにクッキリと、鮮やかな深緑色した四つのハートが横たわっていた。
 
 
Quadrifoglio(クアドリフォリオ)
 
 
 あれは、どんどん夜が短くなっていく秋も深まったある日の午後。
 天音と違って何の部活にも入ってない僕は夜更かししたせいでちょっとヤバイような時間までぐっすり眠っていた。昼過ぎにいいかげん空腹のあまり目が覚めたから、昨日の残り物のカレーを温めて一人で食べたあと、また居間のソファーでうたた寝をしてたんだ。
 父さんは学会、母さんは朝から友達とデパート。妹の天音は休みなのに朝から部活だと出て行った。犬の天音は玄関で眠っているのかそういえば今日はまだ見かけない。
 
「お兄ちゃん、なに握りしめて寝てるの?」
 
 ソファーで眠っていると、耳元で天音の声がした。クスクス笑いを含んだ高い声色。僕はその日は明け方まで新しいドールのカスタムをやっていたから眠くて仕方なくて。
「・・・あまね?」
 握りしめていたはずの左手を、華奢な白い指が解きほぐしているのが判った。夢うつつだった僕は隠し続けていたその掌を、普段ならありえないくらいにあっさりとかわいい妹に見られてしまった。
「ねぇ。なに握ってるの・・・四つ葉のクローバー?」
 
         あれが誰かに見えるなんてこと、絶対にない筈なんだ。
 
 僕がビックリしてソファーから飛び起きると、膝をついて僕の顔を覗き込んでいた天音が驚いて身体をびくりとさせた。
「どうしたの?お兄ちゃん」
 部活のジャージ姿に身を包んだ天音は、キョトンとした顔でそう言った。
 
         天音には。
 
「・・・これが見えるのかい?」
 そういって、もう一度握り直していた左手をゆっくりと天音の目の前で開いて見せた。
「え?」
 そこにはあるはずの四つ葉が見あたらなかった。
 まるで何かの印のように、僕の掌の刻まれていた深緑のハート模様。
「クローバーでしょ?さっき見たよ。あれぇ?どっか落としちゃったのかなぁ」
 そう言いながら跪いて僕が眠っていたソファーの下をまさぐっている。気がつけば天音の心遣いだろうか、母さんの赤いブランケットが掛けられていた。
 
* * *


         あれから暫くして妹は不慮の事故に遭い、帰らぬ人となった。
 
 天音の告別式の朝。
 一晩で衰弱しきった両親を仮眠させて線香の番をしていた僕は何時の間にうたた寝てしまったのか、クゥン、と鳴く天音の声で目を覚ました。
 左手を握りしめたままで眠るのは僕の癖。
 あの四つ葉のクローバーがなくなってしまった後も、無意識のうちに握りしめるのは止めれなかった。
「おはよう・・・あ、れ?!」
 天音の頭を撫でてやろうと伸ばした左手に、僕の四つ葉はまるで何事もなかったかのように横たわっていた。
 
 その瞬間、正直僕はゾッとした。
 
”四つ葉のクローバーを持つと幸せになる”という言い伝えはには確かこんな話があったのを思いだしたからだ。
 
 そもそもそれはおまじないなんて言うカワイらしいものではなく、元来黒魔術に種別されるれっきとした呪術の一種だと考えられた。黒魔術という以上、何らかの代償の上に成り立つ契約ということになる。
 
『了が幸せになりたくなったら、この印を誰かに見せればいい』
 
 ・・・確かそう言われた。記憶に淡くてもう何時のことなのか、誰の言葉なのか、なにひとつ思い出せないくらい小さな頃。
 
 ああそうだ。
 
 幸福を呼ぶ四つ葉のクローバーの正体は、自分が手に入れた四つ葉のクローバーを他人に見せることにより、その相手が不幸になりその分自分が幸せになるという反呪なのだ。
 
 どうしてその部分を忘れていたのかと今なら思う、あれからもなにか心に暗くのし掛かるようなようなことが起きると決まって掌にこの四つ葉が現れた。
 思い出せ。
 あの言葉の持ち主を!
 
* * *
 
 
『・・・なぁ、宿主。あんまり泣いてばっかだと目が溶けちまうぞ』
 深夜番組も全てが終わってノイズが横に流れるテレビ画面の前に座りこみながら、僕は昼間の出来事を思い出してポロポロと泣いていた。
 
「うるさい」
 
 頭の中で響く声。イライラする。
 だいたい、君が悪いんじゃないの?
『おい。なんでそんなに左手握りしめてんだよ。指の色変わっちまってるじゃねーか』
 そう言われてハッとする。無意識のうちに握りしめていた。その左手が僕以外の力で開かれようとするのが判った。
「止めろ!!」
 まるで叫べばその呪縛が解けるとでもいいたいかのように、僕は大きな悲鳴を上げた。
 
『・・・宿主?』
 
 見られてはいけないんだ。見られたら僕はまた”大切な”ものを失ってしまうかもしれないから。
 
          大切なもの?
 
 テレビから聞こえていたはずのザーッというノイズが遠のいて、握りしめていた左手にそっと暖かいものが触れてくるのが判る。
 ほぐされるように開かれる感触は、あの日の天音の指の感触によく似ていた。
 
        ・・・。」
 
 無理矢理開かれた左手の掌に、あの四つ葉のクローバーは見あたらない。
『ほらみやがれ、掌に爪が食い込んでるじゃねぇかよ』
 バカっぽい声にハッとする。
 アイツに四つ葉を見せずにすんで、こんなに安堵している自分が確かにここいる・・・その事実が信じられなくて、信じられないと言うより認めたくなくて、僕は小さくため息をついた。
 
「・・・五月蠅い。ほっといてよ」
 僕はやっとのことで、見えないもう一人に向かってそう呟いた。この安堵がどうか悟られませんように、と祈るみたいに力強く。
 
 ・・・僕にとって天音くらいに、アイツが大切なものだとは思ってない。
 
 思ってないけど、違うけど。
 だけどこの時折間近に感じる奇妙な温もりがなくなることは、今の自分にとってちょっと耐えれないことなのだと        それくらいはもう認めなくちゃならないなかな、と思いながら、空っぽの左手を強く握りしめていた。
 
 

 

 

the end

  2003.1.5
text by MAERI.KAWATOH

四つ葉は実は不吉らしいよ」というのをいいたくて書いた話です。1月に大阪のインテックスで突発的に出したna7との合同誌に載せた話。バクラエキスポのパピリオンにオーラスで公開してたのを引き上げてきました。天音ものです。イベント会場ついたのが昼だった(・・・)から持ってる人は少ないと思う・・・ウチにも原稿しかない。「読んだよ!」って人はごめんなさい。これはまぁちょっと了が好きな人に読んで欲しいなぁと思った話だったので。ゲストはしっぽちゃんがイラストをくれた!表紙のシールを作るのが大変だった本・・・。na7の話が好きだったな、あれ。

03/11/11