all standard is you
act.1

 秋なんてとっくに終わりを告げた冬の始まりに、オレは雨に濡れながら、まるで自分の居場所をなくした犬猫みたいに日の暮れた街を歩いていた。
 ちょうど、ポン、ポン、といった感じに路面に街灯の明かりが花咲くように落ちる。見上げると、すぐ先にみえる高層ホテル群が、青みを帯びたライトに照らされて暗闇に青白く浮かびあがって揺れていた。一時の激しさは衰え、パラパラとアスファルトを叩く雨粒が、まるで硝子の粒みたいにそこここで弾ける。
 
        寒くて死にそうにやばい。
 
 こんな天気の夜に、吐く息を白くしながら学生服に申し訳程度の防寒でしかないマフラーを巻いて、いったい何を感傷にひたっているんだろう、オレは。
 傘もささずに、雨宿りの場所も探さずに、どこに行くあてもなくこんな道を歩いて。こういうのを自虐的っていうんじゃねーのか。
 オレみたいにつまんねぇヤツなんか、風邪でもひいてぶっ倒れて、いっそ目を覚ますことがなければいいのに、と。
 
        そんな風に生きていたのは、ほんの二、三年まえの話だ。
 
***
 
 なんで雨の日はこんなにイライラするんだろう。ザァザァと雨が降る音としずくの連なり落ちていく様は、まるで水のカーテンを幾重に降ろしたみたいに、あの狭い団地の一室を、さらに狭く感じさせた。
「ムシャクシャしてるからってよぉ、テメェいちいち子供殴んなよ!」
 理不尽な理由でオヤジに殴られて思わず殴り返したが、肝臓を悪くしてからすっかり小さくなったその背中は、オレのパンチひとつで、あっけなく床に転がった。
 すぐに立ち上がろうとするものの、酒が回ったアル中の震える手足じゃ、上体を起こすことさえ簡単にはままならない。
「・・・・克也ァ!待ちやがれェ!!」
 ここにいたらまた殴られるってーのに、逃げないわけがない。学ランのまま、玄関に置きっぱなしにした学生鞄とマフラーを手にして玄関を飛び出していた。
 
***
 
 腕時計をチラリと見ると、もう夜中の十一時をとっくに回っていた。
 明日は朝一で例のバイトが入っていて、今日は早く寝たいと思ってたのに、さぁどうするべきか。
 
「・・・どうすべきか、つってもオレにはたいした選択肢はなさそうだぜ」
 朝までゲーセンに居ようにも、学生服なんかじゃ補導されんのがオチだろう。
 まぁパクられて朝まで警察に居るってのもアリかもしんねぇけど、学校やら、ましてや静香の看病に追われてる母親に、そんなくだんねぇ連絡がいくのは御免こうむりたかった。
 いっそ遊戯か本田に連絡して泊めて貰おうかとも思ったが、こんな時間に友達だろうが他人に迷惑かけるワケにもいかねぇし。
 ・・・でもせめてこんな天気じゃなけりゃあ、こんな冬の気温じゃなけりゃあ、公園のベンチで寝れんのにな、と空模様にすらウンザリする。
 しかしこのずぶ濡れのカッコで一晩居たら、多分凍死だ。そう頭では思っているのに、なにかリアクションを起こす気力がない。団地を飛び出して、川沿いの土手をボンヤリと歩きながら遊歩道になっている小さな橋を渡った。少し先の大橋に比べて灯りも少なくて心細いような闇の存在感を感じる。雨のせいでいつもより水量の増えた川が、ゴーゴーと鳴るようにうねっていた。
 足下を流れる雨水も、ぶちまけるように橋の欄干から、橋下の激流へと滴っていく。もうスニーカーの底にも随分雨が入り込んで、歩くたびにまとわりつくような感覚が気持ち悪い。
 
 橋を渡ると少し大きめの緑道に出るが、ビジネス街にパラパラとシティホテルと高層マンションが建つ地区のせいか、人通りも車通りもまるでない。
 
「仕方ねぇよなぁ・・・とりあえず駅前の銭湯に行ってから、学校に忍び込んでみるか」
 
 そんなことを考えながら歩いていると、スゥッと一台の外車が横を通った。黒い車体が雨に打たれるように濡れながら、ヘッドライトで雨粒の光を闇に拡散していく。
 
(あれ?)
 
 オレはその車を知っていた。
 なぜなら自分が乗ったことがある唯一の外車だったからだ。
 
「・・・ラッキー!」
 
 追い抜いたほんの先の信号で止まった黒のロールスロイス・パーク・ウォード。確かそんな名前だ、外車マニアのクラスメイト曰く五千万だかするような車らしく、少なくとも童実野町でそんなのを走らせているヤツなんて、オレは一人しか知らない。
 
***
 
「よ!シャッチョウさん」
 がら空きの車道に躍り出て、コンコン、と後部座席の窓を叩く。
 するとややあってから、ウィンドゥが下りて、この一ヵ月で見慣れた顔が現れる。
 
 先日ひょんなことからオレは、マジでムカツクと思い続けてきたコイツにひとつ「貸し」を作った。ちょうど先週の頭の話だ。
 
「・・・なんの用だ、こんな場所で」
 窓を開いていれば、雨が降り込むと不満を言いたげに眉を寄せる。暗い青色の瞳が水銀灯の光に照らされていた。
「このとーり!今夜一晩泊めてくれ。この際、廊下でもベランダでもどこでもいいから」
 そう言って両手をあわせて首を傾げて見せた。ええい、この際しょーがねぇ。藁をも縋る気持ちって言うのはこういうのを言うんだろう。
 海馬の暗い茶色の髪は前髪が長すぎる。だから表情が読みとりにくい。オレはいつもその青い瞳ばかりが気になって、その顔をまじまじと見過ぎてしまう。
 
「ふざけるな・・・と言いたいところだが、貴様に確かひとつ借りがあったな。まぁいい。それじゃあそこにあるウチのホテルにシングルを用意させよう」
 そういって、オレの背後を指さすから、つられて後ろを向いてしまう・・・視界に入ったのは、川の向こう側のベイサイドに建つ高層ホテルのひとつだった。
「あれ、リゾートホテルじゃん?!そんなんじゃなくていいんだ、本当頼むよ。なぁ泊めて」
 そんな大げさなのはゴメンなんだ。金持ちはコレだからコワイ。こんなずぶ濡れの学ラン姿の高校生が、あんなホテルに宿泊客で現れるのはどうにも奇妙な光景だ。そういうのは苦手なんだ。
「・・・貴様は何が言いたいのか、理解に苦しむ」
「これでオレの貸しは全部チャラってことで〜!」
 そう言ってもう一度手を合わせる。あのでっかい屋敷なら、泊まる部屋くらい幾らでもあるだろうが!と心の中でボヤキながら・・・。
「・・・やむをえん、か。まぁいい、サッサと車に乗れ。」
 シラっとした表情で、海馬が指をパチッと鳴らすと、オレが覗き込んでいたのとは逆側にある後部座席のドアが開いた。
「サンキュー!」
 オレはそう言って、開かれた反対側にあるドアへ向かって走った。
 
***
 
「このシート、濡れて傷まねぇ?革だろ」
 静かに走り出した車の中で、沈黙に負けないようにオレは海馬にそう聞いた。
「・・・座ってからいう台詞でもないだろう」
 つまらなさそうにオレに背を向けるみたいな姿勢で海馬は窓の外を見ている。窓の外を見ているのか、窓ガラスに叩きつけるみたいな雨粒を見てるのかさえ分からないような仕草で。
 
「イヤ一応、社交辞令としてさー」
 
 ニッとオレが笑うと、海馬は肩で笑ったように見えた。
「さぁ着いた」
 そう言うと、助手席から先に降りた海馬のSPが、海馬側のドアを外から開く。海馬が降り際に背広姿のその男に小さな声で、「明日は7時でかまわない」といっているのが聞こえてくる。ちょっとまて。重役出勤てのはそんなに早い時間なのかよと思いながら、オレも自分でドアを開いて外に出た。
「あれ・・・ここっておまえん家じゃないじゃん」
 降りて見れば、そこはさっき海馬の車に拾われた場所から一キロも離れていない、外資系のホテルだった。ホテルというか、多分フツウに泊まるホテルじゃなくて年契約で外資系の会社なんかが借り切ってるような特殊なところだ。
 
「誰も屋敷に戻るところだとは言ってない。まだ俺は仕事が終わってないんだ」
  
 荷物くらいオマエが持てとばかりに、ジェラルミンケースを渡される。「ゲェ〜!」と不満の声を上げてみるものの、全く相手にはされなかった。シブシブ手が異様に重いそれ(明らかにいつものレアカードが詰まったそれではないらしい)を持ち上げる。
 深く頭を下げるSPと運転手を背に、オレは海馬の後を追って、ガラス張りになっている正面ロビーへの自動ドアをくぐった。
 
***