甘い手
act.1

 

俺は泣かない子供だった。

 5歳の時に弟が生まれたとき産後のひだちが悪くて母が死に、8歳の時に父親が交通事故で死んで、兄弟で施設に入れられた。

 仕事人間だった父親が死んだ時も、泣いた記憶はない。
  棺桶の中で動かなくなった父親を触った弟が、夏なのに氷のように冷たい肌におびえて泣き出したから、ずっと喪服で抱きしめていたのを覚えている。それに斎場で遺産相続の分配で揉める大人達を見せたくなくて、弟の耳を塞ぐようにして抱きしめてたんだ、あの時は。
  弟が、モクバがいたから、しっかりしようと思う気持ちの方が強くて、涙腺が閉じてしまったんだろう。母親が死んだときは大泣きしたのを覚えてるのに。

 名前も知らない親戚達に、身ぐるみを剥がれるように両親の遺産を食い散らかされた俺達は、気がつけば無一文になっていた。その体験が、子供心に自分たち以外の他人のことなんて信用できるかというトラウマになったのは確かだろう。
  実際、誰かに隙を見せることなんてない人生だった。他人を突っぱねるのではなくかわすように動いて集団に埋没する。そう心がけようとした、生き延びるために。

 これ以上、誰にも自分を傷つけさせないために。

 施設で暮らすようになってしばらくして、弟を養子として引き取りたいという夫婦が現れた。そのことを知らされたのは、弟がすでに連れて行かれた後だった。
  いつものように小学校から戻ってくると、気まずそうな顔をした年配の寮母が俺を待ちかまえていたんだ。
「モクバはオレの弟だ!どこにも連れて行かせないっ!!」

 そう叫んで、泣き叫んだ。(ごめんね、ごめんなさいね)と背中をさすろうとする手を振り払った。
  泣きながら目を覚ました翌朝も、いなくなった小さな背中を捜して園内を歩いた。あんな風に哀しくて、絶望的な涙を流したのは、あれが最初で最後だった。きっとこの先もないだろう。もう無くすものがないのだから、流す涙も持ち合わせていない。

 ただ。

 あのモクバを捜した朝、泣きやまなかった俺の手をずっと握ってくれていた手があったのを覚えてる。泣くことに精一杯で、それが誰の手だったのかなんて覚えてない。ただ熱いくらいに暖かい手が、俺の手をぎゅっと掴んでいた。
  だからあの時安心して泣き続けることが出来たんだろう。
  あの手は許してくれていたから。
  喉が枯れるまで泣き叫んで、ヒステリックにモクバの名前を呼び続けることを、止めようとはせずに、宥めようともせずに、ともすれば爪を立ててその皮膚をえぐろうとしかねない凶暴な手を、ただ辛抱強く握りしめていてくれた。

 本当はあれが誰の手なのか、簡単に知ることが出来たのに俺はそれをしなかった。いったい誰なのか分かってしまったら、それは自分にとっての弱みになると思ったからだ。あの手の持ち主に、一生勝てなくなる気がしたからだ。

(モクバ。他のどんなヤツにも気を許すな!弱みを見せたら終わりだ!)

 それがあの頃の口癖だった。偉そうなことを小さいモクバには言い聞かせながら、自分のこんな姿を見せるわけにはいかない、と。だから本当はあの手も離そうとした。
  でも何故か離すことが出来なかった。
  強く握られたその手はとても甘くて。
  絶望の中で、この温もりをなくしたら、もう一歩も先に進めない気がしたから、だから離せなかったんだ。

 

甘い手―――Flower of Romance2―――

 

―――――― 例えば一通の手紙で、この先の運命が一変するかもしれない。

 ターニング・ポイント。

 おそらく自分が今立っている場所は、そんな名で呼ばれるべきところに違いない。
  そんなことを思いながら、寮の入口で「封書が来てたわよ」と寮母に渡された分厚い茶色の事務封筒の裏を返す。
  県内にある国立大学の住所と名前が判で押されたそこには、知った教授の名前が書かれていた。
  セロテープの封を爪で外して中を開くと、海馬コーポレーションの名前が入った更に一回り小さな封筒が同封されていて、その中からA4の書類の束が四つ折りにされたものが出てきた。開くと、一番上に「合格通知」と書かれているのが目に入る。

「合格、か。ふん」

 その書類の文字を一瞥して、学生鞄の中に突っ込んだ。部屋に戻ろうとすると、受付の電話が鳴っていた。施設の事務所には誰もいないのか、ただ呼び出し音だけが規則正しく歌う様に鳴り響いている。

 始まりはあの日、担任の化学教師が持ってきた、とある振興財団が出した海外派遣研究員の募集要項だった。

「どうにもこの募集資格を満たしていないお誘いだとと思うんですが」

 教師どもの好きそうな、物わかりのいい優等生口調は煩わしい。
  そんなことを思いながらも、俺はさも誠実そうに聞こえるように心がけながらそう答えていた。
  だいたい『大学等学術研究機関、国立試験研究機関等に所属する常勤の研究者を志望する者』とあるような書類を片手に(君をこれに推薦したいんだけど)なんて言われても、失笑せずにどんな返事をすればいいのか分からない。
  高二の冬。短い三学期は始まったばかりで、冬休みの間に学費稼ぎで作ったiアプリ用のソフトウェアが思っていたよりもいい値段で企業に売れた。ソフト自体ではなくデータ処理のために書いたプログラムに値段が付いたというのが正しかったが、これなら春まで家庭教師のバイトを増やさなくても何とかなりそうだな、と思っていた頃だ。時間的な拘束が減れば、その分学校に残ってコンピューター室に籠もれるから新しいのに取りかかれるな、と考えて歩いていたところを校内放送で呼び出された。

「いや、表向きはそうなっているんだがね。僕の学生時代の恩師がこのプロジェクトに参加してるんだが、うちの教え子に非常に優秀な生徒がいて彼ならそこら辺の院生よりはよっぽど電子工学のなんたるかを知っていますよという話をしたら、興味を抱かれてね。名前を出したら教授が君のことを知っているというじゃないか。なんでも携帯のゲームだかなんだかで画期的なプログラムを作ってる高校生がいる、というのが噂になっているらしくてね。僕もそこで聞くまで知らなかったよ。君がそんなところで有名だとはね。教授の方で財団の担当者に連絡を取ったところ、先方もぜひ一度君に会ってみたいと言うことでね。急な話なんだが、週末に時間を作ってくれないかな」

 科学準備室のストーブは教室にあるそれよりも旧式で、どうにも軽油くさくて好きになれない。外は朝から雪がちらついていた。ストーブの上でカタカタと揺れる安っぽいヤカン。白く曇った窓ガラス。教師の顔を見るふりをしながら、そんなものばかり見ていた気がする。
  だいたい気の乗らない話だな、と思った。手渡された書類をパラパラと捲りながら断りの言葉を考える。それは地元のハイテク企業が後援になって数年前から行われている支援事業で、『我が国の学術の将来を担う国際的視野に富む有能な研究者を養成・確保するため、優れた若手研究者を海外に派遣し、特定の大学等学術研究機関において長期間研究に専念させる。』という主旨に基づいて、理系の将来有望な学生を根こそぎ集めてると揶揄されているプロジェクトだった。
  膨大な資金が動いているその裏側では、穏やかでない話が流布しているというのも地元では有名な話で。

 後援企業の”海馬コーポレーション”というのは、もとは海馬重工という戦中戦後の軍需産業で一儲けした戦争成金で、二代目の社長が時代を見越してハイテク産業に移行しながらも親の代と変わらずに、形を変えて戦争の甘い蜜を吸うことで成長し続けている会社だった。世界中の最新軍事兵器に使われる桁違いの記憶量を誇るICチップの特許を持ち、更に国内に流通するパソコンを分解すれば、KCと記された部品が必ずひとつふたつは出てくると言われてるコンピューター業界にも大きな影響力を持つ大企業。
  ただここ最近は大きな新開発もなく、開発部の人材流出もあって一時の勢いは殺げたと囁かれだしている。焦り始めた首脳陣が税金対策も兼ねて始めた慈善事業、教師が持ちかけてきたのはまさにその募集だった。
「君はまだ高校二年生だけど、基準さえ満たせば向こうの大学に入ることは可能だし。君は元々留学志望だろう?どうかな、遠回りしてTeaching Assistantshipを目指すより、現実的で大きなチャンスだと思うんだけど」
  そう言われた言葉にも、まるで魅力は感じなかった。
  なにかに縛られてまで、焦って欲しいものは自分にはない。

「少し考えさせてください」

 今ここで断わろうとしても、教師が首を縦に振りそうにはなかったからそう答えただけだったんだ。確かにその時は。

* * *


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