甘い手
act.6

 

(正式な書類は、近日中に郵送させて頂きます。そのあと、私の方から電話で詳しい今後の予定をお知らせすることになるかと思いますが)

 帰りは黒塗りのベンツで施設の前まで送って貰った。
  運転手に開かれたドアから降りてきた俺を見て、ここで暮らすなかでは一番小さい女の子達のグループが、(王子様みたい!)と屈託なく言った言葉が耳に痛かった。とんだ貧乏王子だな、と思わず苦笑が漏れる。

 最後にお節介なあの男はこう言った。
「もしも気が変わることがあれば、この町を離れるその時までに私にそう仰ってくださればそれでかまいません。どうか私が言った言葉の意味をもう一度よく考えてみてください」

 最後まで残された選択肢。

 いつだって断ることが出来る。
  そういって貰えたことは、俺の緊張を多少解いていたのだと思う。
  あれから数日が過ぎて、もう学校のテスト休みが終わる直前に、今更の試験の合格通知が届いた。
  明後日、終業式の翌日にここまで迎えにくる車に乗って空港へ行き、東京で最後の社長面接を受けるその予定が書き連ねてあった。面接といっても形だけのもので、実際は懇親会を兼ねた食事会なのだという。翌日には機上の人として海の向こうの国へ行くことになる。数年は日本に戻ってくることもない。留学生として海外資本の形を取っている後援団体から「給与」として奨学金が渡されるため、特殊な就労ビザが下りることになっていて、試験を受ける段階ですでにパスポートを用意させられていた。
  あの悪人面と裏腹に随分と善良な担当者は、迷いながらこの書類に封をしだんだろうか。

 海馬コーポレションからの呼び出しの後、試験休みの十日間ほどの間に、城之内が現れることもなかった。長い休みの間は、大抵割のいいバイトを捜して帰ってこないこともしばしばなのは、いつものことだ。
  それでも明日の終業式で学校に行けば会わないわけにも行かない。なんといってもクラスは同じで、あいつは俺の真後ろの席なんだから。

 城之内のことを考えるのはもう止めろ。
  ちらつく馬鹿面を追い出すために頭を振った。

 もう時間がないんだ。簡単な荷造りをして、早く寝てしまおう。
  誰のお下がりか忘れてしまった形の古いボストンバックに、最低限必要な衣類や貴重品を詰め込んでいく。殆どものの入ってない机の最上段の棚にだけ鍵がついているから、通帳やら実印は、ここに入れたままにしてあった。財布から取り出した鍵で引き出しを開くと、通帳の上にトランプケースの大きさのプラスチックケースが置いてあった。

 それが目に入った瞬間、自分でも驚くくらい動揺した。

 M&W。
  今でも人気が高いカードゲームで、俺はこの決闘を得意としていた。幾つもの大会で手に入れたレアカードが、この箱の中で今は静かに眠っている。

 最後に触ってから、どのくらいになるだろう。大きな大会は去年の夏に出て以来だから、たかが半年くらいにしかならないだろうに、全てが随分遠い昔に思えた。静かに箱を開いて、保護フィルムにくるまれたカードを机の上に綺麗に並べていく。いつでも一番上には決まった特別なカードが鎮座している、

 青眼白龍。

 いつ見ても美しい、俺の最強かつ従順な僕だ。
  随分と長い間、カードの感触も忘れていた気がする。その薄い重さも懐かしくて気分を高揚させる。
  カードゲームの世界に、身分の差は関係ない。
  雑魚はどんなに沢山のレアを集めたところで、雑魚でしかないからだ。手持ちの四十枚の組み合わせで、無限の決闘が卓上で繰り広げられる。

 全てを並べ終えて最後に箱の底に残っていたのは、あるはずがない四十一枚目のカード。

―――――――― この先も決して使うことがないそのカードは、もう一枚の青眼白龍だった。

 それを見た瞬間、俺は我に返ると綺麗に並べたカードを丁寧に重ねて積み上げる。元通りに箱に戻すと、俺はそれをボストンバックにではなく、明日学校に持って行く学生鞄の中にしまい込んだ。

* * *


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