モクバと別れた後、童実野町へと帰る電車に揺られ、赤く染まる車両でうたた寝しそうになりながら、子供の頃のことを思い出していた。
小さな子供達が二人、砂場で作った遊園地。
「モクバ 兄さんの夢はな…世界中に遊園地を作ることなんだ…!」
得意げに、小さな弟にそう話す。
話しているのは俺自身だ。
「スゲー!ボクも作るー!!」
作っても作っても、まだ足りない、と砂の遊具を増やしていく。知っている限りの遊具を全部形にするかのように。
「こんな砂の遊園地じゃないぞ」
記憶に残っているのは、お腹の大きかった母親と、いつも仕事が忙しかったはずの父が連れて行ってくれた小さな遊園地だ。それとはちがう、だれも見たこともないような場所をこの手で作りあげようとしていた。
「この施設にいるような 親のない子供はただで遊べる遊園地だ!」
遠い記憶を辿ってみて、思い出すのは遊具のことでもお化け屋敷のことでもなくて。父母の手を両手を伸ばして握りしめながら、見上げた空に近い場所には、幸福そうに手を握った我が子の笑顔を見下ろしている両親の笑顔。
「そうしたらみんなも遊べるね!!」
オレや、モクバや。
他にも、あの縋り掴まる手を失ってしまった全ての子供達が、笑えるような場所を、いつか自分の力で。
「ああ」
あの時みたいな笑顔でオレは、今日おまえに笑ってやれたかな。モクバ。
プシューッと、停車した電車のドアが開いて、パラパラと乗客が乗り込んでくる。オレンジ色一色の染まった車内に、長く黒い影を持ち込みながら。オレはその影ばかり見ていた。
(兄サマが笑ってくれなくなった)
半年前、凡骨にそう泣きついたおまえに、今はもう寂しい思いをさせてないと、言えるだろうか。
本当の兄弟なのに、あの馬鹿よりも気の利いた言葉が思いつかなくて、そんなオレにあいつをなじる権利なんてない。オレが自分のことしか見えなくなっている間も、ずっとモクバを見てたんだな、城之内は。
* * *
結局断り切れずに、受けることになった推薦試験の翌日、海馬コーポレーションを名乗る車が施設にやってきた。
「実際、あなたの試験結果は素晴らしいものでした。GREのゼネラルテストは三科目とも上位五位までに入ってますし、特にTOEFLはトータル667点。文句なしに今回の受験者の中でトップの成績です。」
呼び出したのは秘書課の磯野という名の課長補佐で、彼がこの企画における海馬コーポレーションの代表だった。
「じゃあ結果は」
角刈りに色の濃いサングラス、口髭といった風情はまるでヤクザだろうと言いたくなる。
「今年募集する研究員は三名を予定していました。これはほぼ内定をしていたということもあってその定数を動かすわけにはいきません。そしてこの定数三の枠の中に、君を推薦するのは不可能でした。」
それでも口を開けば随分と紳士で人当たりもいい人間なのがすぐに判る。
「ただ、私はこの事業担当者として、特別にワイルドカードを一枚与えられています。この枠を使ってなら、あなたを推薦することが出来る」
オレにとってはどっちでもよかったその試験に、急に乗り気になったのは、モクバのことがあったからだった。
あのまだ小さな子供に、四年先は長すぎる。居心地の悪い場所でそんなに長い間、モクバに窮屈な思いはさせれないと思った。
だから俺の計画は最短に修正する必要があった。
「ここからは、ただの中年男の世間話として聞いて頂きたい」
さも真剣に聞いている顔をしていると、急に話を変えられそうになる。
「きみは、この事業の行き着く最終地点について聞かされ、受験に来たのでしょうか?」
男の表情は重く厳しかった。
「いえ。特にはなにも聞かされていません」
俺みたいな子供でも、ここが死の商人のテリトリーって言うことぐらいは知っているがな。
「私どもが多額の援助をさせて頂いた後、見返りとして我が社にとって最も有益である部署にご尽力願うことになります。他の方は、そう言ったことを理解してきて頂きました。」
「それは、研究成果の軍事利用、ということですか?」
変わった男だな、と思いながらオレも相手を探るような質問を投げ返してみた。
「そういう質問には表立ってお答えすることは出来ないのです。しかしそれが私の返答でもある。きみは賢い子だ、お分かり頂けるでしょう?」
したたかな回答に、煙に巻かれないようにしながら、おれは個人的な興味でこの男がどの程度の人間なのかが知りたくなる。
「この会話は、あなたが会社にとって不利益な発言をしていることになりますか?」
ともすれば禅問答になりかねないことを問い直す。
「いえ。私はここに忠誠を誓う身です。だからこそ、将来的に異分子となりうる人間を紛れこませるわけにはいきません。しかし、社長はあなたの試験結果に対してとても興味を持っています。日本の高校生に、これだけの成績を残せる子供がいるとは、と感嘆してらっしゃいました。だからこそ。社長にお会いさせる前でしたら、この話は私のところで止めることが出来る。最後の判断は君に委ねるつもりでここに来て貰いました。」
言ってくれていることのありがたさよりも、オレにもモクバにも時間がないという焦りばかりを会話の中で感じていた。モクバが中学を卒業する四年後、それより早く一定水準以上の生計を立てられるようになりたかった。
「海を渡れば、あなたには成功が約束されるでしょう。ただ、引きかえに、あなたが失うものも多いのかもしれない」
失うもの?これ以上、なにを?
失ったところから始まった人生だったのに。
「例えばあなたは自分の愛する人間に、自分の仕事はより簡単で強力な人殺しの道具を作ることだ、と胸を張って言うことが出来ますか?私達の会社に必要なのは、それが出来る人間です」
そう大人の顔をして彼は言葉を続けた。
こちらが間違った理解をしないようにと、言葉を選んでくれているのが判る。
「きみが勉強のためにアメリカに行きたいというのなら、他に方法はまだ沢山ある。今回のきみを推薦したのは、私の大学時代の恩師でもあります。別の方法で教授にはあなたの力になって貰えるように、個人的に骨を折ることは出来る。それになにより。」
そういって、まるで自分が無くしたものを見るように、俺の目を見た。
「きみはまだ若い。こういった仕事に就いている人間が今更綺麗事を、と思われるかもしれません。その通りです。それでも私は若いあなたに、”破壊するための未来に貢献しる人間”には、なって欲しくないと感じました。もっとも中年男の感傷にすぎないのかもしれませんが」
「それでも」
「もし俺が、いくことを望めば」
今はただ、遠い先になくしてしまうものよりも、小さな弟を一刻も早く自分の側へ。
「……歓迎します。あなたのその若い才能を」
* * *
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