「この間の話なんだけど、いい返事はきけそうかな?」
翌日、モクバに逢いに向こうの家に出向くことになっていた俺が食堂で饂飩を啜っていると、向かい側の席に件の化学教師が腰掛けていた。
朝から腫れ物を触るような態度で、近づこうか近づくまいかという顔で俺を遠巻きにする城之内をやっとまけたというのに運が悪い。
「あの話は―――――― 」
日本の軍事産業を一手に引き受けてるような会社の歯車にされるなんてまっぴらゴメンだ、と。
そう言いたい気持ちを抑えて、やんわりと断りを入れようと思った瞬間。
「瀬人。ちょっと」
そう言って、城之内に肩を引っぱられた。
「城之内、大切な話をしてるから、ちょっと邪魔をしないでくれるかな?」
やんわりと自分を追い払おうとした教師を、城之内が睨みつけた。
「センセ。こっちは急用なんだよ」
そう言って力づくで席を立たされる。暴れてもよかったが、俺にしても都合がよかったから強引に連れて行かれるフリをした。
「すいません。また後で」
城之内にきき腕を掴まれたまま、学食の裏手に引っぱって行かれる。
「……いいかげん離せ。俺はおまえに話なんかない」
人気がないところまで行ってから、俺は城之内の手を振り払った。
「モクバのことだけど!」
城之内が言いたいことなんて想像がつく。
「貴様には関係ない。口出しするな」
「あのなぁ……!」
呆れた口調で、ため息をつかれてムッとする。
「昨日の続き。やっぱ言っとく。一昨日、モクバが、泣きながらオレんとこに来た。だからオレは話を聞いてやっただけ。なのにモクバにそのことであたったんだって?どうしちゃったワケ?おまえ」
たった一人の血を分けた弟だったから、たとえ離れて暮らしていても、心の距離は離れないんだと思っていた。
「どうもしないさ。まるで貴様こそモクバの兄貴気取りだな」
「落ち着けって、瀬人」
俺たち兄弟の間がこじれていくのは、みんな貴様ら他人のせいじゃないか!
「モクバが泣いておまえのところに行ったって?ハッ!それで鬼の首を取ったみたいにそんなことを自慢しに来たのか、城之内?大体、モクバもモクバだ!寄りによって貴様みたいなのに懐いて……!」
吐き捨てるようにそう言った俺の頬を、パチン、と城之内が打った。
「なにをする!」
そのままありったけの憎しみを込めて何倍もの力で城之内の頬に平手を食らわせる。
「……こんなんで気が済むんなら幾らでも殴れば?でもその代わりオレの話ちゃんときけよ」
うっすらと打たれた形が赤く頬に浮かび上がってくる。
「冗談じゃない」
振り払うみたいにして、城之内を突き倒す。
「ちょっ……!瀬人!!」
その背中が壁にぶち当たるのを見ながら、俺は食堂へと走って戻っていった。
* * *
「兄サマ。逢いたかった!」
放課後、久々に顔を逢わせたモクバは、なんだか記憶の中の弟と少し違って見えた。
「……向こうの両親は?」
駅前の喫茶店に現れたのはモクバ一人で、俺は思わず少し険のある声でそう言う。
「父さんも母さんも忙しそうでさ。なんだか来てくださいってオレ、言えなかったんだ。ごめんなさい」
小さくなるように小声でそういう弟は、やっぱりしばらく逢わない間に大きくなったような気がした。
「……少し、背が伸びたか?」
まるで離婚した父親が日曜面談で子供に会っているようだと、このシチュエーションの度にそう思った。
「マジ?オレ兄サマくらいでかくなりたいから、だったらスッゲー嬉しいぜ!」
やっと笑った弟の顔を見ながら、自分はなにをあんなに怒っていたんだろうかと思う。本当に、なにをむきになっていたんだろう。
モクバの両親の話、というのはこういうことだった。
来年、共に定年退職を迎えるに当たって、夫婦はどちらもが譲らない老後の計画を持ち出したのだという。
夫は、昔から好きなのが高じて始めたネパールの支援事業に本格的に取り組むために、老後は妻も息子も連れて、ネパールに移住する、と言い出した。山が好きでトレッキングについて玄人はだしの知識がある彼は、それを生かした仕事で余生を送りたいのだと妻に説いたが、妻には妻の言い分があった。老後はゆっくりと自分の田舎にある両親が残してくれた山荘で暮らしていきたいと妻は思っていたのだ。元来人見知りの酷い彼女は、この歳で親戚もいないような外国で暮らすなんていうストレスには耐えられない、と夫を説き伏そうとした。長くその話は夫婦の間で話し合われたが、話は結局、お互いが譲らない形で収まることになった。
そこで問題になったのは九年前に施設から養子として引き取った一人息子の存在だった。
これに関しても、溺愛しているモクバをお互いに引き取るといって譲らない。しかしモクバにしてみれば、迷惑この上ない話で、「どちらについていくこともできない」というのがその答えだった。
そしてこのままだと子供の自分の意見など結局は流されてしまうだろうと思ったモクバがS.O.Sを出した先が城之内だ。
……ここに来て、ついこの間の夜、城之内が突然言い出した、タチの悪い冗談としか思えない言葉に繋がるらしい。
(来年、卒業したらさぁ。おまえもここでなきゃなんないだろ?俺ちゃんと就職するからさぁ。そしたらおまえもモクバも一緒に)
そういった城之内の、夢見るみたいな熱っぽい声。
「あの馬鹿は、おまえになんて言ってきたんだ?」
抱きしめられた背中から聞こえたから、表情は見えなかった。でもどんな顔をしてたのかくらいは俺にだってわかる。
「……城之内は」
モクバの表情が変わる。
予想してなかった、雲行きの怪しい泣き出しそうな顔に。
「城之内は、オレに”偉かったな”って言ったんだ」
そう言いながらモクバは、ポロポロと綺麗な丸い涙を零した。
「……俺をギュッてして、背中を撫でながら、”ひとりでよく頑張ったな”って……城之内は」
オレは席を立って、向かい側のソファーに座っていたモクバをよしよしと抱きしめて。感極まるみたいに泣き出すのをあやしながら、一人で寂しい思いをさせて、本当に悪かった、と心から謝った。
* * *
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