FLOWER OF ROMANCE【asymmetry】/ 01
 
 ボンヤリと二段ベッドの上に寝ころんで、文庫本を片手に窓を叩く雨の音を聞いていた。
 もう七月になるというのに梅雨が明ける気配はない。今日の雨はしとしとというより、勢いよくシャワーの水を放ったみたいな景気いい降り方だ。学校から施設に帰ってきたらちょうど降り出した雨だったが、さっきまではドーンと派手に雷も落ちていたようだ。
 まぁ今日はバイトもないし、部屋で寝ころんで本を読んでる身分のオレにはまるで関係のない天候だったが。
 
 読みかけの文庫本はアイルランドのテロリストの話だ。上下巻を図書室で借りてきたのがもう少しで読み終わる。読み終わったら家庭教師のバイトのテキストを軽く流して風呂にでも入りに行こうかと思っていた。
 
 ドンドンドン。ドンドンドン。
 
 安普請な建物の窓を必死で叩く音がした。カーテンで隠れて見えないが、こんなことをする奴は一人しかいないから開けるまでもない。
 今描いたばかりの自分の予定が崩されていくのを感じながら、煩わしい気分一杯に起きあがり、ジャッと勢いよくカーテンを引くと、予想通りのにやけ面が嬉しげに手を振っていた。
「城之内」
 窓の鍵を開けてやると、ずぶ濡れの身体で抱きつこうとしてくるから慌てて身を退いた。
「どーしてそうオマエはいっつも冷たいのかな〜!」
 そう言いながら、でも嬉しげに脱いだ靴を手に窓枠を越えて上がり込んでくる。
「寮の夕飯ならもう終わったぞ。また食いっぱぐれて来たんだったらさっさと帰れ」
 そう言いながら、私物用の棚を開いてバスタオルを投げてやる。ずぶ濡れのままいつまでもココにいられてもたまらない。
「違う違う。バイト先でコレ貰ったから、一緒に喰おうと思って寄っただけ。オマエの食い分を奪いに来たワケじゃネェから安心しろよ」
 そういって、ガサガサと鞄から茶色い紙包みを取り出した。
「ほら、鯛焼き。なぁ瀬人、お茶入れてよ。」
 首をかしげて甘えるみたいな仕草で、目を細めて笑うその表情は苦手なんだ。離れて暮らす弟とどこか印象がダブるから。そのせいか昔からコイツには、好き勝手されてばかりいる気がする。勿論、こっちも好きにさせてばかりというわけではなかったけど。
 
* * *
 
 この孤児院に初めて連れてこられた時、自分の手をギュッと握ってくる小さな手の持ち主が側にいた。
 
「兄サマ」
 
 真っ黒い髪と少しだけ青みがかった黒い瞳。
 耳と頬を真っ赤にして、白い息を吐きながらオレを呼ぶ声。子供体温なのか、握ってくる手はいつも驚くくらいに熱かった。
 しばらくはこの孤児院で不自由ながらも二人で肩を寄せ合うようにして暮らしていた。勉強をみてやったりチェスをして遊んでやったり、小さかった弟にとって小さな世界の中心はオレだった。いつだってどこにだって、パタパタと嬉しげに後について歩いてきた。
 
「兄サマ、だいすき!」
 
 それが口癖。ブラコンもいいところだと苦笑されても構わない。オレだってそんな弟が可愛くてしょうがなかったし、それを守っていくことだけを自分の生き甲斐みたいに思ってた。
 そうだ。モクバという名前の弟が、確かに自分にはいた。
 そういえばもう何ヶ月も逢ってないな。電話は先週あった気がする。
 自分と違ってココに来た時にまだ小さかったモクバは、しばらくして養父母が決まって遠くの街に貰われていくことになった。
 寮母にその話を告げられた時、オレはここに来て最初で最後の涙を流した。
「モクバはオレの弟だ!どこにも連れて行かせない!」
 どんなに泣きじゃくってそう叫んでも、抱きしめられて背中を撫でられるだけだった。(ごめんね)と幾ら言われても叫び続けた。声がかれるくらいに泣き叫んで最後は泣いたまま寝ついてしまった。
 
 真っ赤に目を腫らして目を覚ました翌朝。もうモクバの姿は園内のどこにも見あたらなかった。
 
「モクバ!」
 
 いつでも名前を口にして、捜して回るのはモクバのほうだった。他の子供たちと一緒にいるのがいやで一人になりたがった自分を捜して、モクバはよく俺の名前を叫んで園内を彷徨いていた。
 
「モクバ!モクバ!」
 
 (モクバくんは、もういないの。ごめんなさいね。最後の別れもさせてあげれなくて)
 そう言われても、その寮母の手を振り払ってオレは弟の名前を叫んだ。声が枯れるまで。泣いて、叫んで、暴れ回って。
 
 それでももう弟が戻って来ないことを知って、オレはそこで残りの人生を一度全部捨ててしまった。
 
* * *
 
「瀬人はどっち喰う?クリームと小豆」
 
 濡れた体を拭き終わった城之内が、床に寝そべって紙袋の中身をガサガサやっている。
 
 部屋にある電気ポットでインスタントコーヒーを入れた。寮内で唯一自分に許された贅沢がコレだった。
 それでもカップはひとつしかなかったのに、随分前に城之内が自分のカップを家から持ってきて置いて帰った。OLの浮気相手じゃあるまいし、捨ててやるぞと言ったらあの仕草で泣きそうな顔をしてみせた。
 コイツは狡い奴だ。オレが困るようなことばかり嗅ぎつけて、キッチリと頭にインプットしていくのだ。
 
「アズキ。クリームは好きじゃない」
 
 そう答えながら、粉ミルクと砂糖をうんと入れたおぞましいコーヒーを床の上に置いてやる。
 どっちでもいいなんてコイツには絶対に言わない。好きなものは好き。嫌いなものは嫌い。遠慮するような間柄でもなかったし、コイツに遠慮なんてどうしてオレがしなくちゃならないんだ。
 
「えー。オレもアズキがいいー」
 
          そう言うなら、どうして最初に選べと聞いてくるのか理解に苦しむ。
「ウルサイ。知るか」
 そう言って城之内の手から、少しだけアズキのはみ出した鯛焼きを奪う。
「ひとくち頂戴!ひとくち!」
 口を尖らせて上目遣いに強請られる。
 本当にこいつはウルサイ。
 仕方なく、しっぽの部分をちぎってポイッと渡してやった。
「じゃあ交換な!」
 そういって自分の食べかけのしっぽをちぎって手渡してくる。
「いらん」
 そういってプイッとそっぽを向こうとした瞬間。ポイッ
と口の中に甘い塊を押し込まれた。
 イタズラの当人は満足そうな笑みをたたえて、(交換!)と笑った。
 仕方なく飲み込んだクリーム味は、どうにも甘すぎて苦いコーヒーで喉を潤した。
「・・・で。一体何の用なんだ、こんな夜中に」
 
 コーヒーも飲み終えて手持ちぶさたにカップを両手で握ったままの城之内は、そう言うとビックリした顔でこっちを見た。
 
* * *

03/10/20