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FLOWER
OF ROMANCE【asymmetry】/ 02
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| 「・・・何ってさぁ用がないと来ちゃダメなわけ?」
急に声を掛けたせいか一瞬ビックリした城之内も、すぐにつまんなさそうな顔をして、飲み終わったカップを床に置く。
「別に来るなとは言わんがな。やれバイト先の上司がどうだの、貴様の愚痴が聞きたくないだけだ」
そう言ってオレは立ち上がると、ベッドの上に置きっぱなしにしていた文庫本を手にして床に座り直した。読んでいたのは、主人公が桜吹雪を遠目にしながら、最初で最後、黒幕と狙い定めた老人へのコンタクトをとるシーンだ。
「ほんと、つれねぇのなぁ」
あーあ、と城之内はその場にごろりと寝転がる。
そんな言葉を全部無視して、オレは二段ベッドに背凭れながら、パラパラとしおりを挟んだ場所を探した。この著者の書く小説は好んで幾つか読んでいたが、そのどの小説にも見受けられた、遠い異国の地に残された骸を、その生まれた土地へ手厚く葬ろうと力を尽くす下りの台詞が好きだった。
「・・・今日さぁ〜、遊戯にオマエのこと聞かれた」
伏せるように寝転がっていた城之内が、ごろりと転がって仰向けになると、ぼんやり天井を眺めた。
「おまえの笑った顔、みたことない。って。どうしてかな、って」
そう付け加えるように言うと、オレの顔をじっと見てきた。
その言葉に、本当は息が止まりそうになった。
「・・・さして話したこともないクラスメイトに、失礼なヤツだな。」
上擦るようなその声の微妙さを、城之内が聞き逃す筈もなかった。
「
投げ出していた素足の、その足首をギュッと掴まれる。城之内の指先が、オレの小指の爪を引っ掻く。
「貴様・・・っ!」
その感触に、肩がブルッと震える。
うっとおしいっ!と、その手ごと踏みつけてやろうかと思った瞬間だった。
「なんでモクバに逢ってやんねぇの?」
・・・こんな夜中に城之内がやってきたのは甘いおやつを奪い合うためでなく、その質問の答えを聞くためなんだろう。
「貴様に・・・答えなければならない質問なのか?それは」
本当は文庫本を捲る手が震えそうだった。
城之内とモクバは不思議と仲がいい。オレは昔からそれを快く思ってはいなかったのだが。
「モクバに昨日、電話口で泣かれた。兄サマが逢ってくれないって」
床に寝転がった姿勢で、城之内はジッとオレを見上げてそう問いかけてきた。
* * *
(どうして兄サマ、オレには笑ってくれないの?)
数ヶ月前の面会日。
最後にあった日の別れ際、泣きそうな顔をしたモクバに言われたその言葉が胸に刺さったままでいる。
今にも涙がこぼれそうに潤んだ瞳。少年っぽさのなかで、そこだけ小さな子供みたいな。
そう言われたオレは動けなくて。返す言葉を探すために頭の中の幾つもの辞書をひっくりかえしていた。そう言われるまで、オレは全く気がつかなかったのだ。笑うことが出来なくなっている自分に。まるで教室で自分の席に座って授業を受けている時と同じような、冷たい表情のない顔しかできなくなっていることに。
「瀬人?」
右足に生暖かい感触がして、ハッと我に返る。足首を掴んでいた城之内が、むき出しの踝を舐めるように唇を押しつけてきた。
「いってぇ〜〜〜!!」
読んでいた文庫本の角を、金色の前髪めがけて勢いよく振り下ろしてやる。
「死ねっ!消え失せろっ!!」
ヒステリックにそう叫んでみても、全然懲りた様子もなく悪びれないで笑っているのが腹立たしい。
「なぁ」
文庫本を握りしめていた手を掴まれる。バサッ、と。
城之内がこういうどうしようもないセクハラをしてくる時は、オレの気を一〇〇%惹きたい時だ。本当にコイツは懲りない。諦めない。
オレに関わったところでロクなことがないだろうに、いつだって最後はこっちが根負けしてるんだ。
・・・それがまぁ良くも悪くもコイツの持ち味でもあったのだが。
「いつから笑わなくなった?昔はそんなじゃなかったのにな」
* * *
モクバとオレがこの施設に入った時期と前後して、城之内もこの孤児院で時を過ごしたことがあった。理由はおきまりの両親の離婚によるゴタゴタだったらしいが、アイツは入ってきてしばらくの間、園内のだれとも口を聞こうとしなかった。
関わりになるまい。と、そう思った城之内に対して、先に興味を示したのは幼いモクバだった。
「・・・兄サマ。オレ、ともだちができたんだぜぃ!」
オレが施設から学校に行ってる間、部屋でジッとしていることしか出来なかったモクバが、初めてそんな言葉を口にした。
オレは正直、モクバが他人に好意を持つことに対していい感情を抱かなかった。なぜなら人間はすぐに他人を裏切るからだ。
死に別れた父も、残された自分たちも、そんな他人に振り回されてこんなところまで落ちぶれたのだ。幾ら子供だからといって、それを恨むなという方が無理な話で。
モクバもそれがわからないなんてことはない。モクバが信じていいのは兄である自分一人だと思っていたし、まさか他人に気を許すなんてことがあるとは思わなかった。
「それはこの施設の人間か?」
それとも外の人間か。この近所の悪ガキどもが、たまにモクバを捕まえてはいじめていることを知っていた。だか
らまずそれはあり得ない。だが昼間に学校に行かないような年齢の子供は、今この施設にはモクバしかいない筈だった。
「うん。せんしゅうここにきた”カツヤ”ってヤツ。ほら。だれとも口きかないってみんなが言ってる・・・」
そいつならオレと同い年の筈だ。親の離婚でここに置いて行かれたらしいと噂で聞いた。誰とも話そうとしないし、学校に行こうともしない。心因性疾患だからとしばらくそんな状況にもお咎めがないことになっていた。
「そとのヤツらにおいまわされてたのをたすけてくれたんだ。すげーケンカがつよくてさ!兄サマがかえってくるまでずっとふたりであそんでたんだぜ!」
声を弾ませてはしゃぐモクバの手を握りしめて、オレは
しゃがみ込むとモクバと視線の高さを揃えた。
「モクバ・・・兄サマがいつも言ってるだろ。他のヤツに気を許しちゃだめだって」
そう言うと、モクバは(アッ)という顔をして、とたんにしゅんとしてしまう。まるで自分が悪者になったみたいで居心地が悪い。
「でもさぁ・・・」
普段は滅多にオレに刃向かうようなことは口にしないモクバが、その時ばかりは珍しく反抗したのを憶えている。
「カツヤ、いもうとがいるんだって。だからオレとあそんでたら、いもうとのことおもいだすって・・・」
オレは、目をウルウルさせてそういうモクバの肩をぎゅっと抱きしめてた。
「モクバには、ちゃんと兄サマがいるだろ?」
優しくそう言うと、肩が揺れてモクバが頷くのがわかった。
「もう一回言うよ。他のヤツらには気を許しちゃだめだ」
モクバはちゃんとそう約束したのに、それが次の日には破られてしまうなんて、オレは思ってもみなかったんだがな。
* * *
翌日、施設に戻っても部屋にモクバの姿はなかった。
どこにいったのか食堂や談話室を捜しても見つからず、夕暮れのオレンジ色に空が染まるなか、運動場の方に出てみた。小さな空間に、砂場と鉄棒なんかがあるそこはモクバのお気に入りの場所だった。
「じゃあこのケーキはふたりで山分けしようぜ!」
とぼとぼと気が進まない足取りで歩いていくと、楽しげな子供の声がする。そこには捜していた弟と、自分と同い歳くらいにみえる少年の姿があった。
砂場の中央を陣取って二人で何かを作っているのだろう。
「モクバ!」
思わず厳しい口調で叫んでいたと思う。
あれほど昨日言い聞かせたはずなのに、弟はまるでそんな自分の言葉など聞いてなかったようにオレの知らないヤツと楽しげに遊んでいる。イライラした。
「兄サマ」
オレの呼ぶ声が聞こえたのだろう、一瞬いつものようにパァッと笑顔になった弟は、オレの顔を見た瞬間、昨日の約束を思い出したのか、シュンとしてしまう。
スコップを片手に振り向いたそいつは、オレの顔を見て笑顔でそう言ったんだ。
「おまえ、モクバの兄貴なの?」
茶色い髪に、妙に生命力がありそうなぱっちりした茶色の目。
・・・生意気そうだな。しかも野蛮で頭の悪そうな子供だ、と思った。
(そうそう、今度来た子ね。ほら、例の・・・。克也君っていうんだけど、私達とも全然お話してくれないのよねぇ)
寮母達が廊下でそんな話をしていたのを耳にした。そう聞いていた印象とはあまりにも違う笑顔だったから、こっちが気後れしそうになる。
「モクバ。帰るぞ」
その笑顔に怯まないようにワザと仏頂面でそう言った。
モクバは砂場にじっとしたまま動かない。
「モクバ!」
そう叫ぶと、笑顔を曇らせた少年が立ち上がってツカツカと近寄ってきた。オレは怯んだ方が負けだと思ったから、そいつの顔を睨み返してやる。
「・・・そんな怖い顔すんなよ。弟、おびえてるじゃんか」
そう言って、頬に当てられた手は暖かかった。
「触るな!」
オレは慌ててそれを振り払う。
そうだ。叫んだ唇から白い吐息が零れていた。新年が明けて暫くした頃。あんな寒い中、砂遊びなんてどうかし
てると思ったんだ。
「・・・兄サマ!」
オレ達がケンカになると思ったのか、涙目で飛んできたモクバがオレの腰にギュッとしがみついてきた。
「ごめんなさい・・・ごめんなさい」
泣きじゃくる弟にオレが途方に暮れていると、バツの悪そうな顔をした諸悪の根元が、口を開いた。
「・・・オレが遊ぼうって誘ったんだよ。だからコイツのこと、叱らないでやってくれ」
優しい目でオレの腕の中のモクバを観ながらそいつはそう言った。
そんな風な目、もうずっと観てなかった。そういう類の懐かしさが混じった視線。ほんの少し前まで、どこの家の子供とも変わらずに、自分たちに向けられたそんな瞳が側にあったというのに。
オレは無意識にモクバを抱きしめる腕に力を込めた。
「モクバ。ありがとうな、美味かったぜ」
そう言って、そいつはバタバタと食堂のほうに向かって走っていった。
* * *
冷たい施設の二段ベッド。その下段の煎餅布団の中に弟と二人で丸くなっていた。一月の半ばなんて部屋の中にいても寒かったけど、小さな子供の体温は暖かい。
「・・・きょうははカツヤのたんじょうびだっていうから」
だから砂場でバースディケーキを作っていたのだ、とぐずりながらモクバが呟いた。
「・・・もうあんなヤツのことはいいよ。」
そういいながら、弟の長い髪を梳くみたいにして撫でる。大きな目で自分を見上げる、その瞳には強い意志が宿っていた。
「でもオレ、兄サマもカツヤとなかよくなってくれたらうれしいもん・・・」
あまりに意外なことを口にするから、オレはギョッとした。夕方のオレ達のやりとりを聞いていただろうに、そんなことを言うモクバに正直困ってしまう。
「無理だよ。それに大体、向こうもそんな馴れ合いは御免だろう」
オレがそう言うと、モクバはぷるぷると顔を振った。
「だってアイツ、兄サマのこと知ってたもん!オレが兄サマのこと話したら、”ああ、あの綺麗な青い目のヤツか”って言ってたんだぜぃ!」
モクバはまるで自分のことを誉められたかのようにウットリした顔でそう言った。
だがモクバが珍しく他人に心を開いた理由がわかった気がした。小さな弟は誰にでも好かれる性格をしていたが、オレが兄なことを知る連中は、モクバをイジメこそすれ優しくなんてしなかったから。
「・・・もうあんな奴の話はいいから、早く寝ないと」
そういうとモクバもオレにギュッとしがみついて、小さな声でお休みなさい、と呟いた。
* * *
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