FLOWER OF ROMANCE【asymmetry】/ 03
 
 モクバを二日続けて叱った翌日。七時になるといつものように園内に流れるフォスターの”夢見る佳人”でオレは目覚める。正確に言うと、壁に取り付けられたスピーカからカセットテープが始まるジジジ、という小さなノイズ音が聞こえた瞬間に目が覚めた。
 起きあがると隣にモクバの姿がない。トイレにでも行ったのかと不審に思いながら二段ベットから抜け出すと、自分の眠っていたのとは反対側の空きベット(ここは四人部屋で二段ベットが向かい合うように置いてある)の下に、人の気配がして思わず全身が総毛立つ。
 
「おはよ」
 
 緑のセーターにジーンズ姿の子供が、ベッドの手すりに腰掛けるようにしてオレを見ていた。昨日の、アイツだ。頭の悪そうなあの茶髪。
「……人の部屋で何をしてる?」
 ヘラヘラと笑う顔が気に障る。何がそんなにおかしいんだ。それともオレを馬鹿にしてるのか。
「今日からオレも、ココの部屋なの」
 その言葉に頭が一瞬真っ白になる。オレはそのままベッドから降りると、失礼な侵入者を尻目に裸足のままで部屋の外に出た。
「あら。ちょうどいいわ、瀬人くん」
 部屋の前に、食堂に向かう年配の寮母が立っているのに鉢合った。
「急で悪いんだけど、今日からこの部屋、克也くんにも入って貰うことになったのよ。ちょうどベッドも空いてるでしょ。」
 向けられるのは悪意のない笑顔。
「どうしてこの部屋なんですか?」
 他にも部屋は沢山あるし、実際今までアイツは別の部屋にいたんだろうに今頃になってどうして。
「克也くんがね、モクバくんと同じ部屋がいいって言うのよ。そろそろここにも慣れて貰わないといけないし、あの子からそう言ってきてくれて本当によかったわ。そういえば私達、初めてあの子の声を聴いたわ」
 今までストライキをしてたヤツがやっと口にした願いだから通したっていうのか?
 ボクはいやです、と言えたらどんなに楽だろう。そういったところで、ここで大人が決めたことに子供が逆らえる術はないのだ。結果がわかっているのにぐずれる様な性格でもない。
「瀬人くんも仲良くしてあげてね。」
 自分でも子供っぽいなと思いながらも、そんなことを言う寮母を無視して閉じたばかりの扉を開いて部屋に戻る。
「おかえりー」
 脳天気な声を無視して、パジャマを着替えようと私物の入ったロッカーの扉を開けた。上着のボタンを外していると、視線を感じて思わずベッドの方を睨みつけた。
「…なにか用か?」
 ベッドの柵に腰掛けたまま、不躾にじっとこっちを見てる視線が気になった。
「用もないならオレの視界に入るな。不愉快だ。」
 さっさと着替えて部屋を出ようとした。その瞬間、背中でやつが立ち上がる気配がした。
「あのさ」
 どうして無視しなかったんだろう。どうしてオレは、振り向いてしまったんだろう。
 
「オレ、スゲーおまえと仲良くなりたいんだけど」
 
 そんなことを誰かに言われたのは初めてで、オレは目を丸くしながらも、真顔でオレを見てるアイツから目が離せなくなってしまった。
 
* * *
 
「なぁ瀬人。今週の土曜っヒマ?」
 
 あれから八年以上経ってなお、変わらない馬鹿っぽい笑顔のままで、変わらない馴れ馴れしい口調のままで、まるで当たり前みたいに城之内はオレの側にいる。
 モクバがいなくなったというのに、コイツだけがココに残った。
 
「ヒマでも貴様とはどこにも行かん」
 
 結局、借りてきた文庫本も全部読み終わってしまった。オレは床に足を伸ばして二段ベットに凭れたまま、窓の外から零れるように聞こえてくる雨の音に耳をすましていた。城之内は同じ床でゴロゴロしながらこっちをじっと見ているみたいだった。
 目をあわせば言葉を欲しがるから読み終わった本の解説から顔を上げたりはしない。
 何をするわけでもなくただ同じ部屋でお互いボンヤリとしてるだけなんていうののどこが楽しいのかわからなかった。まぁコイツと外に出かけたところで、いつもロクなことがなかったが。
「予定、そのまま空けといて。オレ、朝迎えに来るから」
 いつもその調子で、城之内は勝手に次の約束だけを残していく。この部屋から出て行くための儀式みたいに。
 
「あ、そういえばコレ。貰ったから瀬人にやるよ」
 
 もと来たときと同じように部屋の窓を開いて、ざわめくみたいに降る雨の向こう側に戻っていこうとする城之内が、いま急に思いだしたみたいにスカジャンのポケットからなにか取り出すと、それをそのままオレに向かってシュッと投げた。なんだか赤くて四角いもの。オレは思わず反射的に両手でそれを受け取っていた。
「じゃあ土曜に」
 
 そういって城之内は暗闇の向こう側へと遠ざかっていく。ばしゃばしゃと跳ねる水音が聞こえなくなるまで目と耳で追っていた事に、辺りに元の静寂が戻ってから気がついた。手の中に残ったのは、城之内が投げた赤いドロップの缶。
 果物の絵が沢山描かれたそれを見た瞬間、オレは背筋がゾッとした。こんな、まるで何もかも見透かされたみたいな……。
 
「城之内!」
 
 思わず暗闇に向かって名前を呼んだ。
 もうヤツはこの声が届かないくらい遠ざかってしまっているだろうに、どうしてオレは。
 無論返事があるわけもなく、ザァザァと滝のように降る雨が飛沫のカーテンになって、この部屋に残されるオレと暗闇の向こう側に消えてしまったアイツとを隔てていることに苛立ちを覚えた。
 
* * *

03/10/22