FLOWER OF ROMANCE【asymmetry】/ 06
 
 オレ達が降りたのは、モクバが住む町の駅だった。
 無人駅の切符回収箱に、二枚の切符を放り込んで、城之内はオレの手を引っぱる。いつもなら気持ち悪いと振り払う手を、されるがままに掴ませておいた。
 駅を出た後、モクバの暮らす住宅地とは反対側の国道沿いに坂を下ると寂れた海岸に出るのだ。それでも毎年、いまの時期なら本当は多少の海水浴客がいるもんだが、異常気象の冷夏だといわれる今年は本当に浜辺に人の気配がない。
 工場地帯が近いせいだろう、暗い色の海は曇った空を映して余計に汚く見えた。
 会話がないと、寄せて返す波の音ばかりが大きく耳にこだまする。何をするでもなく、テトラポットが野ざらしに積まれた側に、並んで座り込む。
 
「コレ、全然食ってねぇの?」
 その声に顔を上げると、机の上に置きっぱなしにしてあった飴の入った缶を持ってきたのか、昨日投げられたドロップの缶を手にしているのが目に入った。
「その飴は好きじゃない」
 そう言って、ドロップの缶を押し返す。
「…あのさぁ」
 少し言いにくそうに、城之内がそう切り出した。
 
「瀬人が塞ぎ込むようになったのが、春の映画の後って本当?寮母のおばさんからちょっと聞いた。オマエが小さい子に声を荒げるなんて珍しい、って」
 やっぱりこいつはわかっていてこんなものを持ってきたんだな、と思った。映画の話なんてした憶えがない。オレとモクバの様子がおかしくなってから、施設の連中に色々探りを入れたんだろう。
「……」
 不思議と怒りがこみ上げてきたりはしなかった。
 ただ、もう放っておいてくれと強く思うだけで。
「貴様はそうやって」
「うん」
 手持ち無沙汰に赤いドロップの缶をカシャカシャいわせる城之内の顔を見据える。
「なんでもズケズケと聞いてくるな。他人の心の中に土足で入りこんでくる」
「うん」
 城之内は穏やかな顔で頷いた。
「……迷惑だ。大体、どうしてオレなんだ」
「瀬人」
 そんな顔をされるたびに、本当にいつも思う。どうしてオレなんだ。
「他に誰でも代わりを捜せばいい。オレは貴様なんか絶対好きにならない」
 そう言うと、城之内はもっと優しい顔になる。
「でもオレは瀬人しか、好きになれねぇもん」
 ははは、と目を細めて甘い顔で笑う。
「初めて逢った頃からずっと。すっと、瀬人ばっかり好きだ。他に代わりになるようなヤツには逢わなかったんだ。」
 男相手に口にしても仕方ないような甘言を、こんな時に限って馬鹿みたいに誠実な目で。
「オマエはいつも嫌そうにするけどさ、オレとモクバが一緒にいても瀬人の話しかしねぇんだぜ。オレもモクバも、オマエが好きなの。オマエとずっと一緒にいたいだけなんだ」
 まるで夢物語みたいなことを、どうして軽々しく口に出来るのか。そんなエゴに満ちた言葉をどうしてそうも簡単に。
 
「あの映画でさぁ。あれ、オレも子どもの頃に見たんだけど」
 城之内が、砂を握りしめていたオレの手の上に、自分の掌をそっと重ねた。
「オレは妹がいるから余計にだと思うんだけど、子どもなりにスゲェ色々考えたんだ。オレならどうするかな、とか、こいつ馬鹿だな、とかさ。親戚のウチをおん出て、子ども二人で防空壕で暮らしてさぁ……結局、妹も死なせちゃったし。」
 そうだ。子どもには箱庭遊びの中でしか理想郷は作れない。座って曲げた足下の砂を踏みならしながら、真正面に広がる水平線をジッと眺めた。
 
 思い灰色の雲が広がる空に、暗い青色の水平線と磯の匂い、浜辺に吹く湿った温い風。
 
        それでも、子どもの頃は夢見ていた。昔、モクバと一緒に理想郷を作るのを。施設の砂場で何時間もかけて砂で作った遊園地。あれよりすごい、あんなのじゃない遊園地を世界中に作って暮らすんだ。そこで毎日、モクバと遊ぶんだって思っていた。
 
 本当は、浜辺に立つのは好きじゃない。あの靴底が僅かに沈むような感覚が、まるで砂から抜け出せなくなるように奪われるバランスの悪さが気に入らない。第一、靴が汚れるじゃないか。
 
「瀬人が泣きわめくガキどもに”こんな風にならない世の中を作っていくのはおまえ達だ”って言ったって聞いた。」
 余計なことまで誰がこいつに話したのだろう。そういう城之内の声を聞きながら、やっぱりそんな綺麗事みたいなセリフは、オマエみたいなヤツにお似合いだな、と思う。
 
「モクバが泣かなくてすむような未来を作れるのも、これからのオマエじゃんか……ってクサすぎる?」
 城之内の手が伸びてくる。重ねられていた掌か浮いて、ゆっくりと、抱きこむようにオレの背中へと回される。
「貴様に説教なんかされたくない」
 オレの首筋に顔を伏せる城之内の髪が、耳と頬に当たった。柔らかい猫っ毛がくすぐったい。汗くさい身体がベッタリとくっつけられるのに、不思議と不愉快には感じなかった。
「オレさ」
 オレにこんな事を仕掛けてくるのはこいつくらいで、久し振りに自分以外の心臓の音を聞いた。城之内の心臓はいつも速く脈打つ。
「おまえの作りたい未来にいたい。ずっと瀬人の横にいたい。なぁ。おまえの夢につきあわせてよ」
 まるで見透かすみたいに城之内はそう言った。バカらしい、そうあざ笑って突き放してやろうと思ったのに、その思いとは裏腹に、僅かに震える指先を城之内の背中に回していた。シャツを掴むと、城之内の心臓の音がもっと早くなる。
「うるさい」
 耳たぶに唇が押しつけられる。
 柔らかい感触に肌がざわめく。
 何度か耳元に押し当てられた唇が、今度は頬に当たる。ハァ、と吐く息の音が聞こえて、太股に城之内の股間が当たった瞬間、オレはハッと我に返って力一杯に身体を押し返した。
 
「何をする!」
 
 勢い余ってひっくり返った城之内は、砂まみれで、浜辺に転がった。こんな真っ昼間からこいつは何を考えてるんだ!
「…痛ってぇー…手加減してくれよ…って、ちょうどお出ましか」
 グッタリした様子で起きあがった城之内が、オレが背にした防波堤を指さす。
 
 堤防沿いを流れるように走ってきた一台の白い車が。オレ達の座る浜辺の側に、すぅっと停まる。逆光に目を細めるようにして見ていると、白いパラソルが開いて少し年配の女性が降りてくる。その反対側の車のドアからは、小学生くらいの子どもが飛び出すように降りてくる。
「兄サマー!」
 聞き慣れた声がして、子どもは堤防の脇にあるコンクリートの階段をパタパタと駆け下りてきた。最後の段から砂の上にトン、と飛び降りると、乗用車とパラソルの主を振り返った。
 
「おかぁさーん。じゃあねぇー!」
 
 堤防に向かってそう叫びながら、モクバはブンブンと大きく手を振った。
 女性はそれに答えるように小さく手を振ると、オレと城之内のほうに向かって軽く頭を下げた。
 
「モクバ」
 
 一瞬、動きを失いながらもそう呟くと、モクバは遠目にわかるくらい、今にも泣き出しそうな顔を更にくしゃくしゃにした。
 白いパラソルを元通り呑み込むようにして、海岸線を滑り出す車に目を細める。そうこうしているうちに走ってきたモクバが、オレの腰にギュッと抱きついてきた。
「兄サマ!兄サマ!兄サマ!」
 声が涙で濡れている。
 ほんの数ヶ月見なかっただけで随分背が伸びたような気がした。
「モクバ」
 少し屈むようにして、懐かしい体温を柔らかく両手で包み込んだ。
「オレ、兄サマに逢いたかった。ずっとずうっと逢いたかった。笑ってなくてもいいから、兄サマに逢いたかった」
「モクバ」
 なんども名前を口にする。すまない、といくら謝ってもとても許されないよう気がした。まだこんなに小さな弟を、どれだけ傷つければオレは大人になれるというのだろう。
 屈み込んでモクバを抱きしめながら、顔を上げると城之内が悪戯が成功した子どもみたいな顔で笑っていた。
「さっき駅から、待ち合わせの場所を変えてくれって向こうの親に電話したんだ。」
 そう言いながら、オレの腕の中に収まっているモクバの頭をポンポン、と撫でる。
「どうする?モクバ。遊園地は」
 その手をむずがるみたいにモクバが頭を左右にパサパサと振った。
「子ども扱いすんなよな!…遊園地じゃなくていいぜ。ここでいい。兄サマと長く一緒にいるほうがいいからサ」
 モクバはそう言うと、いっそう強くしがみついてきた。
「砂遊びでもするか?昔やったみたいな」
 オレはモクバの長い髪を梳くように撫でながら、出来る限り優しい声でそう言った。
「……うん!」
 その笑顔に救われる。
 子どもの頃から、いつもそうだった。しばらく逢わずにいたせいで、そんな大切なことをオレはすっかり忘れていた。
 
 思わず口元に笑みが浮かぶ。
 その腕の中の小さな弟を愛おしいと想う気持ちの分だけオレは笑えるような気がした。
 
***
 
 陽が暮れる頃、迎えに来た車に乗ってモクバは帰って行く。
 誕生日なのになにも持って来れなかったから、と、カバンに入っていたドロップの缶を、城之内がモクバに渡した。
 
「別に貴様に対して恩にきるわけではないからな」
 
 憎まれ口しか口に出来ない。
 浜辺で砂遊びをして、裸足になって濡れた波打ち際を走るモクバを、城之内が鬼ごっこのように笑いながら追い回して、腹が空いたから途中で駅前のコンビニまで戻って昼食のパンやらおにぎりを買った。誕生日だから、といってカットしてるケーキを3つ買って、ロウソクがないからと言って代わりに花火をねだられた。
 堤防に座ってままごとのように誕生日を祝う。
 昼間の花火なんて綺麗なわけがないのに、モクバはことのほか嬉しそうに指揮棒のようにパチパチと火花を散らす花火を振って笑っていた。
 その笑顔が、心に残って消えずにいる。
 海岸から駅への帰り道、対向車の一台もない国道の坂道を上りながら、横を並んで歩いていた城之内が、不意にオレの耳を触った。
「今日一日で、すげー日焼けしてる。ちょっとしか晴れ間なんか
覗かなかったのに、耳の後ろ、真っ赤になってる」
「さ、触るな」
 逃げるように足をやはめようとすると、後ろから抱きしめられた。
「…顔も赤い」
「嘘をつくな!」
 いやらしく人の胸から腹を撫でるような掌を、振り払おうとしたのに逆に掴まれる。
「好きだよ」
 いつのまにかまた、オレは城之内のペースに巻き込まれてる。
 
「貴様なんか、大嫌いだ!」
 べったりとくっついてきたその鳩尾に、羽交い締めされかけた右腕の肘を思い切りぶつけてやった。
 
 グェっと間抜けな悲鳴を上げて、城之内はそのまま路上に座り込んだ。
「ってぇー…あのなぁ、瀬人。そんな赤い顔して言っても説得力ねーんだよ」
 貴様の負け惜しみを聞くような耳はあいにく持ってないんでな。それでもその城之内の間抜け面が愉快で、オレは思わず、声を上げて笑った。
「瀬人ぉ」
 座り込んだ城之内を置き去りにして、オレは駅に向かう足を速める。背中越しに、城之内があわてて立ち上がる気配を感じた。
 
「待てってば!おい!」
 
 こうやって先を歩く方が自分の性分には合ってるんだ。貴様ごときに手を引かれて歩くなんてゾッとする。
 
 ……それでもまぁ、追いかけられるというのはそんなに悪い気もしないな、と思いながら苦笑を浮かべた。
 そうやって、貴様はずっと不格好にオレの背中を追っていればいい。ずっとそのまま走り続ければいい。
「瀬人!」
 意地悪くそんなこと考えながら、やっと追いついてきた城之内の拗ねたみたいな顔の上気した頬に手を添える。思いつきで、顔を近づけた。そして一瞬だけ唇をあわせて、ドン、とその胸を突き放す。尻餅をついた城之内は、顔を真っ赤にしてオレを見上げた。
「これで、今日の借りはチャラにしろ」
 今更、キスくらいで動揺するような綺麗な関係でもないくせにそんな顔をする城之内が、それでも愉快だった。
 なんでも他人に主導権を握られるのはオレの趣味じゃない。いちいち行動パターンを読まれてたまるものか。
 
 そしてまたオレを捕まえようと伸ばされる城之内の手から逃げるように、オレは海岸線に沈む夕陽を背にしてまた坂道を走り出した。
 振り向けば、きっとあの間抜け面が赤い顔でオレを追う姿が目に入るんだろう。そうだ。そうやって追ってこい。そうやって、どこまでもずっと。
 
       そうしたら、いつか捕まってやってもいいと、思う日が来るのかもしれない。
 
 まぁ、今はそんな日が来るとは思えないがな。
 
 そう思いながらもずっと、面白いくらいに喉の奥から笑いがこみ上げてきた。
 
 あんなに笑えずにいたことが不思議なくらい、妙に幸せな気分で、オレは城之内から逃げる足のつま先に力を込めた。
 
 
 
 
the end
…と、いうことでこの話もお終いです。最後まで読んで下さってありがとうございました。未完でサイトにほっぽってあった頃に、続きを気にしてくれた方、ありがとうございました。すごく力になりました。嬉しかったです。

03/10/25