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風物詩【後編】
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モクバの頭を撫でてると、ガチャっと音がしてドアが開く。
「あ、兄サマ!」
振り向くと、黒地のスーツに身を包んだ海馬がすぐ側にいた。
サラリと流れる濃い茶色の髪と淡いブルーのカラーシャツ、濃紺のネクタイが異様にマッチしてかわいげがないくらいに見栄えがした。
長すぎる前髪から覗く青い目は、今日も不機嫌で気怠そうに見える。茶色い髪から耳たぶのへんだけがチラッと見えるんだけど、着てる服の色が暗くなるほどその肌の白さが際立っちまうことなんて、きっとコイツはずっとしらねーままなんだろーな、と思う。
「貴様。何故そんな格好でくつろいでいる?!」
が、そんな海馬もオレを見た瞬間、珍しく頬を赤くして苦々しそうに唇を震わせた。それがえらい可愛らしいから、オレは思わずまじまし見返してしまうワケで。
「…え?オレ?!」
そういえばさっきのメイドさんにもそんな顔されたけど、上半身脱いでるくらいでそんな顔されるっけ?
「…あ!」
海馬は着ていたスーツのジャケットから軽やかに袖を抜くと、それをソファーに座るオレの頭からバサリ、と被せた。ふわっと鼻先に馴染んだ匂いが仄かに漂ったかと思うと、黒い布地がオレの上半身を覆う。視界がゼロになって暗闇で自分の肌が目に入ってやっと気がついた。
オレの首から腹のへんまでに、べったりとキスマークがついてるんだ。
モクバが何にもいわねーから、全然気にならなかった。
「とんだ露出狂だな」
被された布の上から、そんな言葉を吐き捨てるのは、赤い痕をつけた張本人だ!
あのなー…といいかけて止めた。海馬のそのブルーシャツの下にだって、昨日オレがつけた痕があるんだから、わざわざこれ以上怒らせることはない。モクバの前でうんぬんと、後からヒステリックな嫌みをいつまでも言われるに決まってる。
オレは大人しく海馬のジャケットを被って、ソファーに膝を立てるように座り直した。
オレとモクバが座るソファーの向かい側に海馬が腰を下ろすと同時に、ティーセットが載ったワゴンを押しながらメイドさんが入ってくる。
「お待たせしました」
彼女が恥ずかしそうにしてた理由が分かってしまうと、こっちが照れくさくて仕方なくなる。そりゃこんな”昨日は頑張りました!”みたいな身体で、堂々と人ん家のなか歩いてたら、見てるほうが恥ずかしいに決まってるよな。オレは溜め息をつきながら、ちょっとばかり赤い顔で、まるでこれからデパートの棚に並ぶみたいに美しく畳まれたTシャツを受け取った。
そのやりとりを見ていた海馬は彼女が出ていった後、不機嫌そうな顔で「にやけるな」と吐き捨てる。
「別にぃ」
”妬いてんの?”なんて怖くて訊けねぇから、机の上に置きっぱなしにしてた紙袋を手にとって海馬の目の前に突き出した。
「…なんだ、それは?」
怪訝そうにオレが差し出した包みを凝視する海馬に、ニッコリ笑ってやる。
「手みやげ。オマエの分な」
何かまたひねくれた答えを返そうと海馬が口を開くよりも早く、モクバがこう言ってくれる。
「そのたい焼き、美味かったぜぃ。兄サマも早く食べなよ!」
その助け船に思わず吹き出しそうになる。モクバにそういう風に言われたら、海馬は絶対に拒否することも抵抗することも出来ないからだ。
「…クッ」
小さく悪態をつく姿に、オレは立ち上がって新しく運ばれてきたティーポットを手に取ると、海馬のためのカップに湯気の立つ琥珀色の紅茶を注ぐ。
「それはちょっと冷えちゃってるけど、せめてこっちは熱いのを、さ」
そう笑いながら海馬の目の前にティーカップを置いてやる。
そこで顔を上げて海馬を見てギョッとした。
不満いっぱいの顔をした海馬が、さっきのモクバと同じように両手でたい焼きを掴むみたいにして食べようとしてたからだ。とは言ってもまぁ右手に左手を上品に添えてるだけなんだけど、あんまり可愛いことをしてるからオレは思わず言葉を忘れたみたいにジッとそんな海馬を見ていた。
「なんだ?」
そのオレに怪訝そうな顔を向ける。半年も前ならありえないシチュエーションに身を置きながら、思わずキスのひとつでもしたくなって、海馬の唇ばかりを見てしまった。男相手に可愛くて仕方なんてのは、本当になんとかの欲目だな、と思いながら。
「美味い?」
膝に肘ついて海馬を見上げるようにそう聞くと、「冷えてなければ、な」とぼそっと言った。
色んな顔が見たいんだ、オマエの。
好きになってからもうずっとそう思ってる。ひとつずつ埋めていくパズルみたいにその表情を集めたいんだ。
さっき知った誕生日に、オレはなにをしたら新しいオマエの欠片を手に入れることが出来るんだろう。そう思考を巡らせるだけでも幸せになれるよ。
まぁそんなことを口に出したら、きっと迷惑そうに悪態をつくんだろうから、ぜってーいわねーけどさぁ。
* * *
「そういえば何をやったらこの屋敷で服を汚すんだ、貴様」
海馬にそう言われながら、羽織っていたジャケットを膝に載せて渡されたばかりにのTシャツに着替えた。乾燥機から慌てて持ってきてくれたんだろう、肌に触った生地がまとわりつくみたいに暖かい。
「あ、これ?落ちたんだよ、銀杏の枝揺すってて、さ」
オレがそう言うとモクバが「城之内がドジなんだよなー最後の最後に落ちるんだもん」とクスクス笑った。
「モクバ」
急に厳しい顔つきになった海馬が、モクバをジッと見つめた。
モクバが、あっ、という顔をする。ついつい口が滑ったとでも言いたそうに目を丸くして。
「去年と同じことをオレに言わせるのか?」
こいつがこんな風にモクバを問いつめる姿なんて初めて見るから、オレはどうしていいのか分からなくて会話の行方を見守った。
「…ご、ごめんなさい!」
張りつめた空気に、オレの隣でソファーに座っていたモクバがいまにも泣き出しそうな顔をするから、おもわずその上半身を引っぱるようにして後ろから抱きしめてやる。
「どうしたんだよ、海馬」
後ろから腕を絡めたモクバの身体は震えていた。
「おまえは口を出さなくていい」
立ったままでオレ達を見下ろす海馬の威圧感にギョッとする。
「でももうオレあんなにいっぱい食べないから!本当にごめんなさい!」
その会話の内容が読めなくて、でも震えるモクバが可哀想で思わず頭を撫でる。
「どうした?モクバ」
その様子を見て、海馬は不本意そうに眉をしかめてオレを忌々しそうに見上げた。
「クッ…!貴様もまるで鬼をみるような顔でこっちを見るんじゃない」
左手で視線を振り払うようにしたシャツの手首で青い石を嵌めた銀のカフスが光る。見るからにシュンとしてオレの腕の中で肩を落としたモクバが、そこでぽつりと口を開いた。
「兄サマは悪くないよ。去年さぁ、オレ、銀杏食べ過ぎて倒れちゃったんだ」
大丈夫だから、という仕草でモクバがオレの腕を解く。
「銀杏ってそういうもんなの?」
オレは銀杏なんておでんのがんもどきに入ってるのくらいしか食ったことがねぇから全然わかんなかった。
「ああいうものは子供が食べすぎるものじゃない。」
苦々しい顔で、海馬が溜め息をつく。
「銀杏には4−メトキシピリドキシンという中毒物質が含まれてるんだ。これがビタミンB6と拮抗して腸と肝臓を循環すると痙攣が起きる。特に子供の身体には安全性に問題があるとされているのだから、過食は慎むべきだな。」
まるで医者みたいな講釈をたれる海馬が、モクバを心配する以上に自分を愁う顔をしてるのが気になってると、その沈黙への気まずさからかモクバが口を開く。そして呟いたのは、海馬が絶対に他人に知られたくなったであろう、まったくもって余計な一言。
「兄サマも子供の頃に倒れちゃったもんね」
その瞬間にあいつの見せたビックリして塀から落ちたネコみたいに無防備な顔が、オレはしばらく脳裏に焼き付いたまま頭から離れなかった(笑)。
まぁ結局、そのことを海馬はバツが悪いと感じたのか、モクバは一生懸命拾った銀杏を一握りだけメイドさんに炒って食べさせて貰えたらしい。
後日、それはもう至福の笑顔で、「城之内、サンキューな!」とモクバは笑って手を振っていた。
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the end
【銀杏って一度に歳の数以上食べるのは身体によくないんだって話、バカ食いした後に教えられて肝を冷やした戒めの意味を込めて(笑)】 |