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風物詩【中編】
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| 屋敷に戻るとさっきのメイドさんが心配そうに駆け寄ってくるのが見えた。コテージの側にある放水用の蛇口を捻って冷たい水で銀杏を洗っていると、タオルを持ってやってくる。
「モクバ様。後は私にお任せ下さい、どうかお部屋へ。風邪をひいてしまいます」
モクバはそのタオルを受け取ると、「ありがとう。でももう終わるから下がってていいよ」と大人びた顔で受け答えた。オレから見るとただのかわいいガキンチョでも、海馬が不在のこの屋敷では、モクバは立派に小さな主だ。
「城之内、おまえシャワー浴びて来いよ。すっげー銀杏くせぇぞ!」
半ばウンザリした顔でモクバに言われて、自分の身体をまじまじ見るとさっき木から落ちた時に押しつぶした銀杏の汁が背中や髪にべったりとついていた。
「じゃあそうする。なんか服貸してくれよ、上だけでいいから」
とりあえず、コテージから屋敷の中に入る前に着ていたTシャツを脱いだ。上半身裸というのはさすがにこの気温じゃ辛い。
「さむ!」
そう言って首をすくめると、モクバがオレの手からTシャツをサラリと取り上げた。
「サイズのあう服がなさそーだから、その雑巾みたいな服、風呂から上がる頃にはウチのメイドに洗って乾かすようにいっておいてやるよ。だからさっさと入ってくれば?」
コテージから上がり込んだ居間から追い出すようにモクバに腰の辺りを押される。あー、はいはい、といいかげんな返事をしていつもの客間についてるバスルームに向かった。
バタバタと廊下を歩いていると、さっきのメイドさんが角から現れて、オレを凝視ッすると顔を赤らめて「キャッ」と小さい悲鳴を上げた。
「わわっ!ごめんっ!すいません!」
そりゃこんなお屋敷の中をオレみたいなのがこんなカッコで歩いてたら驚くよな。せめてモクバに羽織るタオルでも借りればよかったと赤面しながら、失礼しました、と足早に立ち去ろうとする彼女を呼び止めた。
「あ、さっきのオレの荷物なんだけど」
俯き加減に振り返った彼女に、確か荷物を預けたはずだ。
「紙袋のほうさ、たい焼きなんだけど暖めてモクバに出してやってくれる?」
すっかり忘れてた。そのままじゃ冷えて美味しくないだろうと思ってそう頼むと、かしこまりました、と頭を下げられる。
他人に頭を下げられるって言うのに慣れてないから、おもわずこっちがそれ以上に頭を下げそうになる。海馬がこう言うのを見たら、きっと冷ややかに笑うんだろうな。まぁ別にいいけどさ。
* * *
広い廊下を歩きながら窓の外を見ると、もう真っ暗でなにも見えない。ただ暗い森が広がっているばかりで。いま何時頃だろ…七時を過ぎたくらいかな。
ここに来るのは一週間ぶりだけど、最後に海馬に逢ったのは昨日の夜だ。バ イトの帰りにアイツが借りてるホテルの前を通ったら、地上から遥かな窓に灯りが点いていたから、ついつい部屋を覗いてしまった。
まぁ”明日は屋敷に帰る”と本人が言ってたから、今日はこっちに来たんだけど。
仕事のスケジュールがきついんだろう、いつもより苛ついていた昨日の海馬を思い出しながら、熱いシャワーを頭から浴びて、すっかり温まってからバスルームを後にした。
ジーンズを履いて、肩に身体を拭いたバスタオルを羽織ると、ドアをちょっと開いて広い廊下に誰もいないか覗いてみる。
さっきみたくメイドの女の子に悲鳴を上げられんのは恥ずかしいもんな。
おっし!誰もいねぇ、とオレはモクバがいる応接室に向かって歩き出した。
「おかえりー。もうあがったのかよ」
ソファーにきちんと座って、テーブルの上のノートパソコンを叩いていたモクバが、顔を上げてそう言った。
「よ。なにやってんの?オマエ」
覗き込んだ画面には、難しい言葉やグラフが並んでいて全然理解できねぇ。
ただ、モクバが叩くノートパソコンの横に、ボトルキャップのフィギュアみたいなのが幾つも転がっていて、よく見ればそれはデュエルモンスターズのキャラクターってことに気がついた。ダーク・ネクロフィアにエルフの戦士、ペンギンソルジャー、ブラックマジシャンガール、お、ちゃんとレッドアイズもある。
「仕事だよ」
サラッとかっこよくそういったモクバは、キーボードの手を止めて、パタン、と画面を閉じた。
レッドアイズのフィギュアを手にとってまじまじ眺めてみると、裏の台座になんかチップみたいなのが埋め込んでいるのが分かる。
「なぁ、モクバ。これなに?」
そう聞くと、モクバは黙ってソファーの上に置いてある書類ケースの中からパンフレットを取り出した。
「KAIBA LAND…ん…何て読むの?これ。」
そういわれてオレが手にしたパンフレットが全部英文なことに気がついたモクバが、もう一度書類ケースをガサガサ漁った。
「あれ。日本語のってどこいったんだろ。昨日の会議もそれしか使わなかったからなぁ…うーん」
仕方なく、オレの手からパンフレットを取り上げて机の上に広げて見せた。
「これは今年の海馬ランドのクリスマスイベントのメインなんだよ」
そう言われてよく見ればブルーアイズがプリントされてるクリスマスっぽいページになってる。
「最近、鉄道の改札とかで、触れるだけでオッケーなカードってのがあるだろ。アレと同じ技術なんだけど、このフィギュアの裏側に非接触型のICが埋め込んであって、十二月のクリスマス期間は童実野町にある海馬ランドの入場券の代わりになるんだ。通常の入場券以外にこういうのを用意するんだけど、それだけじゃわざわざIC埋め込むのも勿体ないっていうんで、期間限定のバーチャルもののアトラクションを幾つか用意してさ、フィギュアのレア度に応じて何パターンかの内容を楽しめるようにするんだよ。今月の半ばにはもうテレビCMも始まるから、そうしたら城之内も嫌でも目にするようになるはずだぜぃ。」
まぁようは仕事の話、ってワケで、こういう話をする時のモクバは、海馬と一緒で異様に楽しそうなんだよなぁ。
「このタイプの入場券は十一月から全国で一斉発売するんだけど、童実野町以外はウチの系列がやってるチェーン店のオモチャ屋が独占販売するんだ。予想よりもコストがかかっちゃったから、ついでにそっちのクリスマス商戦も兼ねてやろうと思ってさ」
それで期間中の平均入場者数見込みがこのくらいで、十二月度で昨年対比のオモチャの販売が何%に…ともうオレの手に負えない内容になってきたからとりあえず笑ってみた。
「…城之内はさぁ、人の話聞いてない時は絶対そういう風に笑うよな」
モクバはダメな大人を見るような顔でオレを見ながら溜め息をつく。
「だってオレ全然わかんねーんだもん、そーゆー話。そういやこれ、ブルーアイズはねぇの?」
それが一番ありそうなのに、十数個は転がっているなかには見あたらない。
「それは…」
口ごもるモクバが、ちょっと悩んだみたいな仕草で諦めたような表情をして見せた。
「…内緒にしとけよな」
そういって立ち上がると、そのままドアを開けて外に出て行ってしまう。
ソファーに残されたオレが、机の上のフィギュアを触っていると、ノックの音がした。
「?」
立ち上がって、ドアを開けると、さっきのメイドさんが立っている。
「先程お預かりしたものをお持ちしました」
仰々しく銀のトレイに載せられた白地に葡萄の絵が入った皿の上に、茶色い紙包みが横たわっていた。
「あ、サンキュー。ありがとう」
そう言って皿を持ち上げると、ぺこりと頭を下げて「お洋服はもうすぐ乾くと思いますのでしばらくお待ち下さいませ」と言うと足早に去っていく。
ああ、そういえば上脱ぎっぱなしだったけ…と、オレはまだ乾ききらない頭をガシガシ掻きながら、たい焼きの包みがのった皿を手にソファーに戻った。
* * *
「あれ?なにそれ」
小箱を手に戻ってきたモクバが、机の上の皿を見てそう言った。
「おかえりー」
待ちくたびれてソファーの上に寝転がっていたオレも身体を起こした。
「ああ、それ?手みやげ」
ふぅん、と紙袋を覗いたモクバは、中からたい焼きをとりだした。
「オレが食べていいの?」
こういう瞬間、モクバがものすごく可愛く感じる。こういう子供らしい顔もちゃんと持ってることが嬉しくなるから。
「勿論。海馬とオマエの分、あとオレのな?」
そういって手を出すと、はい、とたい焼きをひとつ掌に載せてくれた。こういうのってスゲー懐かしくてなんかジンとするんだ。オレの家に帰っても、こういう団欒にはもう巡り会えないから。
「こういうのってたまに食うと美味いよな」
リスみたいに両手でたい焼きを抱えて囓っていたモクバがそう言った。ああ、”りすさん”みたいに、か。無駄に可愛いけど、きっと無意識でやってるんだろうな。
「で。その宝石箱みたいなのはなに?」
もうとっくに食い終わってるオレは、すっかり冷めたミルクティーを飲みながらモクバが傍らに置いた黒のベルベット貼りの箱を指さした。
すると思い出したようにモクバは皿の上に食いかけのたい焼きを戻して優雅にナプキンで指先を拭ってからその箱を手にする。
「兄サマにはまだ内緒だぜ」
口を尖らせるみたいにして、まるでオレが信用ならないという表情で、宝石箱をパタン、と開いてオレに見せた。
「……」
中身を見てオレは思わず言葉をなくした。
白い絹地の宝石箱の台座には、銀で出来たブルーアイズのフィギュアが鎮座してたからだ。
…こういう瞬間に、この兄弟の考えてることがさっぱりわかんねぇ…って気持ちになる。
「ホワイトゴールドにブルーサファイヤを填めてるんだ!スゲーだろ?」
持ち上げたブルーアイズの裏側には、テーブルの上に転がってるのと同じICが埋め込んであった。
「…それ、幾らくらいすんの?」
聞かなきゃいいのに、と思いながらも思わず訊いてしまう。
「デザイン料も入れてやっと国産車が買えるくらいかな。そんなにしないよ」
その”そんなにしない”っていうの基準が知りたいような知りたくないような…まぁこういう話になると途端に自分が平民に思えてくるのだけは確かで。
「こんなの兄サマの誕生日プレゼントにしては安いくらいだぜ?」
サラリと言った言葉に、オレは思わず目が瞬いた。
「誕生日?」
大事そうに宝石箱を書類入れにしまったモクバは、またたい焼きの続きを食べ始めていた。
「うん、今月の二十五日だよ?ちょうどその日にクリスマスイベントのプレ・イベントをやるんだよね。これはオープニング・セレモニーで、兄サマに使って貰おうと思ってオレが用意した誕生日プレゼント。このフィギュアの企画自体、元々兄サマの金庫の鍵を新しいのにしようとして思いついたんだけど、企画ごとプレゼント、のほうが兄サマ喜ぶかなぁって」
まぁそっち企画が転けたら、喜ぶどころか失望されちゃうだろうけどね。と、モクバは付け足したけど、その自信満々な顔をみたらとても失敗するとは思えなかった。
「誕生日、ね…」
そう呟くオレを、モクバが神妙な顔で覗き込んでるのを見て、オレは大事なことを言ってやってないことに気がつく。
「きっとオマエの兄ちゃん、すげー喜ぶよ。そんな顔すんなって」
そういって髪を撫でてやると、へへ、っと年相応の顔で笑う。
「あったりまえだろ!」
こういう瞬間に、ものすごく切ない気持ちになる。こんなにモクバがオレに懐いてくれるのは、いままで誰もこいつをこんな風に甘えさせることがなかったからなのかな、とついつい勘ぐってしまうからだ。出会った頃の、海馬に愛されたくて必死のモクバを思い出すから。
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