「まだ熱下がんねぇのかなぁ・・・」
 
 そう言って、猟師は自分の布団で丸くなっているこぎつねの額に手を当てようとしました。うっとうしい毛並みが邪魔だなぁと思いながら触った額は猟師の側でパチパチと燃える囲炉裏の火のように熱くて、思わず胸を痛めました。
「ごめんな。・・・本当にごめんな」
 ぐったりして目を開けないこぎつねは、ほっぺも唇も真っ赤でした。
 
 ある年の秋の出来事です。
 猟師がこぎつねを火縄銃で撃ったあの日から、もう三日がすぎようとしていました。
 
 
こぎつねと猟師
 
 
 思えば随分とこのきつねには困らされたものです。
 猟師が川に仕掛けた網に悪戯はするは、獲物を入れた魚籠はひっくりかえす、食べもしない畑の作物を青いうちにもぎ取ってしまうなんていうのは日常茶飯事でした。
 不思議とこのこぎつねは、自分以外の村人にはこんな悪戯はしないのです。どうして自分ばかりに、と常々忌々しく思っていた猟師は、あの日自分の家の土間に忍び込んでいるこぎつねの後ろ姿を見て、また性懲りもなくいたずらに来やがったと思いながら火縄銃を手に取りました。
 こんな至近距離なら外すこともないだろう、と、猟師はその時冷静に引き金を引いたのです。
 ドン、と音がして、銃の先からは白い煙が細く立ち上りました。そして燻る火薬の匂いの向こうに見たのは、床に倒れるこぎつねと、ちらばった栗の実とキノコでした。それを見た瞬間、猟師は頭が真っ白になりました。
 
「・・・おまえだったのかよ・・・」
 
 数ヶ月前、猟師はたった一人の家族だった母親を病気でなくしました。
 病の床に伏した母親に、なにか栄養があるものを食べさせてやろうと、猟師はウナギを捕りに川に出ました。朝から晩まで身体を腰まで水に沈めて網を引いて、三日目にやっと網に掛かったそのウナギを、悪戯で逃がしたのもこのこぎつねだったのです。
 
 家族がいなくなってひとりぼっちになった猟師でした。
 小さい頃から母親とふたりぼっちだったので、自分ひとりのために生きていく、ということがどういうことかよく分からなかったのです。一人で起きて、一人で畑に出かけ、一人で家に帰ってくる。その生活に猟師は全然馴染めないでいました。最後は長い間、布団で寝たきりの母親でしたが、家に帰ってきて土間でわらじを脱ぐ猟師に、「おかえり」という一言があるのとないのでは、この家に帰る意味すらも変わってしまうのだということを知ったのです。
 
 ところが母親が死んでしばらくすると、猟師の家には不思議な出来事が起きました。
 猟師が家に帰ってくると、土間の踏み台の上に、栗や松茸が置かれるようになったのです。はじめは誰か近所の人がおいていってくれたのかと思いましたが、心当たりがありません。それでも誰か、自分のことを思ってくれている人がいるのだと想像するだけで、凍えかけていた猟師の心は少し温かくなりました。
「誰だろう」
 でも確実に想ってくれる誰かが自分にはいるのだと、そう思うと母親がいた頃のように働きに出かけることが出来ました。
 
 だからその贈り物の主が、普段から忌々しく思っていたこぎつねだったと知ったとき、とても複雑な気分だったのです。
 
***
 
 猟師が火縄銃で撃ったこぎつねは、危うく一命を取り留めました。しんのぞうを掠めた弾は、こぎつねのうすい身体を綺麗に貫いていました。
 ぐったりした身体を自分の布団に寝かせつけ、血を止めて傷口を手当てし、熱の下がらない額に、何度も井戸を往復して汲み取ってきた冷えた水で、手ぬぐいを絞ってはおいてやりました。
 
 そして三度の昼と夜を越えた四日目の満月の夜、不思議なことが起きました。
 
 猟師がこぎつねが眠る煎餅布団の横の壁に凭れてウトウトしていると、不意に花の匂いがしたのです。ハッと目が覚めて辺りを見回すと、天窓がなぜか開いていて、そこから明るい満月が差し込んでいました。
 目の前の布団を見ると、こぎつねの身体がどんどん月の光に透けていくのです。
 猟師はなにか言葉を口に出そうとしましたが、どういうことかまるで声が出ないのです。そうこうしているうちにもこぎつねの身体はポォッと光りながら透けていき、瞬いているうちに、猟師と年の頃が変わらない少年の姿が現れました。まだ熱が下がらないせいなのでしょう、白い肌が引き立てるように頬は赤く、苦しげに吐く息が聞こえてきます。キノコみたいな髪型からのぞく耳は確かにきつねのもので、パタパタとかわいしく動いています。
「・・・化けぎつね・・・」
 思わずそう口にした瞬間、こぎつねはパチッと目を開きました。
「ひっ!」
 そのキツイ印象の両眼は、まるで夏の空みたいに真っ青でした。
 ビックリした猟師が後ずさろうとすると、布団の中から伸びてきた手が着物の裾を掴みます。
「・・・なんで逃げるんだ?」
 その声があまりに悔しそうで、哀しそうで、おもわず猟師はそのまま、指の細いその手に触れました。
 さっき触れた額はあんなにも熱かったというのに、こぎつねの手はまるで氷のように冷たかったのです。
 
「あったかいな」
 嬉しそうにそう言うと、こぎつねは安心した顔でもう一度ゆっくりと瞳を閉じて、深い眠りに落ちていきました。
 
 
 
 
つづく。