当てずっぽうにこぎつねを探しなら、山の奥深くへと迷いこんでいった猟師は、その手がかりのなさに途方に暮れそうでした。
そうため息をついた瞬間、猟師の鼻先をあの匂いがゆっくりと掠めていきました。そう、いつもあのこぎつねから薫っていた、あの甘い花の匂いです。
その匂いが消えないうちに、と、猟師は足早にその香りを追って森の奥へと進みます。そこからずいぶんと歩いた先に、月の光がまばゆく当たる大きな木がありました。古く大きなその木は、まるで力を使い果たしたかのようにひっそりと立ち枯れていました。
そして、その木の根元にまるで守られるようにして猟師の探していた少年が横たわっていました。真っ白の着物に、山吹色のあざやかな帯。身体の上には、数え切れないくらい、あの甘い匂いが立ちこめる帯と同じ色の小花が散っているのです。
それはもう子供の姿のこぎつねではなく、あのこぎつねを看ていた夜に一度だけ垣間見た、自分と同じくらいの年回りの、細くて背の高い少年でした。
猟師は木の根元に横たわるその少年の傍らに、ゆっくりと膝をつきました。
花は少年の睫毛や唇にも散っています。
そっと指を伸ばして、その頬に触れました。
「迎えに来たぜ」
そう言って、少年の茶色い髪を、白い頬を、大きな手で撫でました。確かめなくても分かります。その少年が、探していたこぎつねに違いありませんでした。
触れた頬は冷たかったのですが、唇の隙間から吐息が漏れるのを感じて猟師はほっとしました。
「…ん…」
触れられた頬がくすぐったいのか、もぞもぞと寝返りをウトウトしたこぎつねが、人の気配に気がついたのか、パッと目を覚ましました。
「おはよう」
枯れ葉の上に横たわったまま、じぃっと猟師の顔を見ていたこぎつねの真っ青な目を、もう猟師は思い出していました。
「ごめん…約束破っちゃったんだな、オレ」
こぎつねは動こうとしません。
猟師を見上げる瞳には、うっすらと涙が浮かんでいました。
「ずっと待ってるって言ったのに。また一緒に弟を捜そうって言ったのに、忘れてたんだ。せと。」
もう何年も呼ばれることがなかった名前で、猟師が自分を呼んだのを聞いて、溢れそうだった涙が、ポロポロと地面に零れます。
「…そうだ。俺はずっと忘れなかったのに、貴様は忘れてしまったんだ」
涙が零れるのと一緒に、頬に赤みが差してきました。あの悔しそうな顔で、眉をひそめるみたいにしてこぎつねはそう嗚咽のような言葉を漏らします。
「ごめんな」
猟師に抱き起こされたこぎつねは、その身体にギュウッとしがみつきました。
甘い匂いがする身体に抱きつかれて、こういったことに慣れていない猟師は、戸惑うみたいにその身体に両手を廻してその背を撫でました。
「もう忘れるな」
泣いているせいか聞き取りにくい小さな声で、猟師に向かってこぎつねはそう言いました。
本当は猟師がなにも思い出さなくても、もうこぎつねのことを忘れたままでも、こぎつねは猟師と一緒にいたかったのです。ずっとずっと一緒にいたくてたまらなかったのです。
「もう二度と忘れるな」
言い足りない、という顔でそう繰り返すのが愛しくて、猟師は、笑ってそのむくれた顔に唇を押し当てようとしましたが、子供の頃を思い出してその動きを止めました。
「?」
急に動かなくなった猟師にこぎつねがキョトンとすると、猟師はまるで子供が悪戯するみたいな顔で笑いながら、舌先でぺろりとこぎつねの唇を撫でました。それは、自分が小さな頃にこのこぎつねにしたのと同じ口づけでした。
「忘れない。だからずっとオレと一緒にいてくれ」
こぎつねはもう泣いていません。
涙をこぼすかわりに、やっぱりまだ悔しそうな顔で唇を開くと、瞼を伏せながら猟師の唇を舌先で舐めとりました。
「わ…」
その茶色くて長い睫毛の影が落ちる顔を自分に向ける仕草があんまり美しかったので、猟師は思わずされるがままになっていました。唇は冷たいのに、その舌先は妙に熱くて、こんな場所でいやらしい気分になりそうでした。
猟師が顔を赤くして、じっと自分をみてくるので、照れくさくなって、こぎつねはそっぽを向いてしまいしました。
「じゃあ…帰ろうか。腹が減っただろう、戻ったらなにか温かいものを作ってやるからさ…ああそうだ。いま、家に帰ったら、おまえがビックリすることが待ってるんだぜ?」
猟師は自分の家で待っているであろう、あの小さな神主を思い出しながらこぎつねにどう言いました。
こぎつねはその意味が分からなさそうに首を傾げました。
「さぁ、帰ろう」
そう言うと、こぎつねはちょっともじもじしていましたが、屈んだ猟師に「ほら」と言われて、ためらいながらその首に腕を絡めます。
あの初めてであった日のように、猟師はもう自分より背の高くなったこぎつねをおぶって立ち上がりました。
家に帰ったら、こぎつねと同じ青い瞳の弟が、その帰りをまだかまだかと待っていることでしょう。いまはまだ泣いて赤くした目のこぎつねも、そうしたら笑ってくれるかな、と猟師は口元を綻ばせました。
そう、何時の時代も、おとぎ話の最後はこんな風に終わりを迎えます。
…………そうしてみんないつまでも幸せに暮らしましたとさ。
めでたしめでたし。