猟師が必死でこぎつねの足取りを追いだした頃、当のこぎつねは危うげな足取りでまるで死に場所を捜すように、山を越えてもといた森へ帰ろうとしていました。
あの山吹色の花は今年こそきっと花を咲かせていると思ったのです。自分がこうやって人間の姿になれたのは、あの花のちからに違いないのだと。きっともうすぐあの花は散ってしまって、昔そうだったように、自分の姿も元に戻ってしまうのだろうと思いました。そうなる前にこぎつねはあそこに戻りたかったのです。人ではなくなった姿を、猟師にだけは見られたくありませんでした。
どのくらいの距離を歩いたのか分かりません。
空が赤く染まって陽が落ちて、西の空に星が瞬きだした頃、あの甘い匂いがどこからともなく薫ってくるのが分かりました。
さわさわと赤や黄色に染まった木の葉が月に照らされ揺らめいて、なんだか見覚えのある木々が弱り切ったこぎつねを迎えてくれているように思えます。
森の奥深くのその場ところにたどり着いたとき、こぎつねのからだはもうぼろぼろでした。いまにも意識が遠ざかりそうになるなか、やっとたどり着いたその大木は、これまでもずっとそうだったように、優しくこぎつねを迎えてくれました。
(おかえり。よく帰ってきたねぇ)
月の光に神々しく照らされた木は、まるで自分の根元にこぎつねのための敷物をようにするように、満開に咲き誇る山吹色のあの花を散らせてくれました。
(探しものは、見つかったのかい?)
ようやくその花の上に横たわったこぎつねは、穏やかな声とも木々のざわめきともつかない言葉にこう答えました。
「見つかったけど、見つけてはもらえなかった」
そう言葉にしてしまったら、あの笑顔が自分の心と頭の全部を占めていくのが分かりました。照れくさそうに、でも屈託のない笑顔でいつも笑うのです。こぎつねはあの手の温もりにもう二度と触れることがないことが哀しくて、枯れる花のように自分の魂がしおれていくのが分かりました。
(…おまえがはじめてここにやってきた日のことを覚えているかい?)
それでもざわめく声は止みません。
(小さかったおまえがこの森に迷い込んで、わたしの袂で初めて眠った夜のことを、わたしはよく覚えているよ。)
パラパラとあの甘い花が次から次へと、意識が朦朧としかけたこぎつねの上に、降ってきました。
(弟に食べさせてやるものを探して迷子になってしまった人間の子供を、あの姿に変えてやることしか、わたしはこの森で生かしてやれる方法を知らなかったんだ。すぐに冬もやってくるのに、人間の子供が森でひとりで暮らせはしないんだよ)
もうまるで眠り歌のように、声だけが甘い香りに満ちるなかでこぎつねの意識に語りかけました。
(わたしの命はもうすぐ尽きてしまうだろう。わたしの願いはわたしと同じ花を咲かせる木と出会うことだったが、結局叶いはしなかった。それにもう、ちからを使いすぎてしまったみたいだからね。ああ、でも最後におまえの探しものがおまえを見つけてくれるようにだけはしておこうね。ほら、もう足音が聞こえてくるよ)
横たわるこぎつねの白い着物は、もう山吹色の花でうすく埋まっていました。
(……さぁ、今度こそちゃんと幸せにおなり)
最後に聞こえたのは優しい声でした。
それを聞き終わる頃、こぎつねの意識もゆったりと途切れていったのです。