事件の後、オレは兄サマのもとを追われて、義父にその身を預けられた。
かといって、兄の側にいた時と、義父の側にいた時と、さしてオレの生活に違いがあるわけじゃなかった。兄も義父も忙しく屋敷で過ごす時間は極端に少なかった。オレは毎日広い居間の「最後の晩餐」に描かれたみたいに大きなテーブルで、いつも一人で食事をした。
どんなに豪勢な料理が卓上に並べられても、兄サマと一緒に孤児院で食べた食事の方がよっぽど美味しく思えてしかたなかった。
オレには、この屋敷に貰われてきてから、兄サマと遊んだ記憶がまるでない。
学校から帰っても、使用人以外は誰もいない広い屋敷にひとりぼっち。
そういえばあの頃は、よくこの森で遊んだのを思いだす。
春には桜の花びらが散るのを眺め、夏にはクワガタやカブトムシを捜した、秋になったらドングリを拾って曼珠沙華を手折り、冬には木々の枝に降り積もった雪を揺すって落として遊んだ。
思えば子供時代の随分多くを、ここで過ごしたような気がする。
屋敷の中で、隠し持っていたゲームをひっそりやる以外、外に出ている時はいつでもこの小さな森の中にいた。緑の匂いを深く吸い込むようにして、オレはこの場所に隠れていた。隠れていたら、いつか兄サマが探しに来てくれる気がしたから。
(こんなところにいたのか、モクバ)
懐かしい優しい笑顔でそう言いながら。
もういない昔の兄サマが迎えに来てくれる気がしたんだ。
そしてあの本当のオレ達の家に帰れるような気がしてたんだ。
あそこに帰れば兄サマは、昔にみたいにずっとオレと遊んでくれるんじゃないかって。
そんな夢をみることくらい許して欲しかった。
そういえば、あの頃、よく一緒に遊んだ子がいたのを思い出した。
そうだ。
いつだってオレが寂しくて一人で泣いていると、どこからともなく現れて、陽が暮れるまで遊んでくれた。
(これは椚(くぬぎ)。キミが拾ってるのが樫(かし)と楢(なら)の実。その足下転がってるのは椎の実だよ)
森の奥に散らばる木の実を拾い上げて、ひとつひとつ名前を教えてくれたのは、今日が初めてなんかじゃなかった。そういえば彼は昔から、なんでも、オレのわからないこと全部、この森のことを教えてくれたのだ。
「乃亜」
乃亜の手は、まだゆっくりとボクの髪を撫でてくれていた。座り込んだまま立てないでいたオレは、横に並んでいた彼を、ゆっくりと見上る。
あの頃は、乃亜はオレより随分と年上に見えた。兄と同じくらい年上に。
・・・あの頃とまるで変わらない風貌。
彼の時間は止まっている。だからオレは思い出せなかった。
「 やぁ。思い出してくれたのかい?」
そう微笑んだその笑顔を、確かにオレは知っていたのだ。
乃亜はその優しい笑顔のままで、ボクの耳元に唇を寄せてこう囁いた。
ああそうだった。乃亜の声はいつだって、光を放つように眩しく辺りに響いていた。
「・・・キミが来なくなったあの日から、また逢えるこの日を待っていたんだ。さぁモクバ。今度こそボクと一緒に行こう。そしたらもうあんな風に、キミを一人で泣かせたりしないから」