瀬人と口をきかなくなって、もう半月近くが過ぎていた。そんなことは今までの経験でもないことで、毎日毎日溜め息ばかりが口をついて出た。
授業中、オレの学校での席はちょうど瀬人の真後ろだったから、一言も口をきいて貰えないまま、ただその背中ばかりを見続けていた。瀬人の怒りは揺らめく青い炎みたいで、オレはその激しい怒りが収まるのをタダひたすら待ちながら、皺ひとつない折り目の綺麗な学生服の後ろ姿を見続けることになる。
ほんのちょっと手を伸ばせば届くところに瀬人はいるのに、そう思うたびにやっぱり溜め息が零れる。完全にオレの存在を消そうと振る舞う瀬人には、その小さなオレの嘆きも軽く無視されてしまうんだろう。
「城之内君も大変だね」
いつもの痴話げんかくらいに思ってる遊戯達にはそう冷やかしみたいに笑われたけど、事態は結構深刻だった。早く何とかしたいのに、きっかけが掴めないままにもう二月も終わろうとしていた。週末から始まる期末考査が終わったら、休みにはいるから学校じゃ逢えなくなる。このままじゃ休みの間も逢って貰えなくなりそうで、本当に参ってた。
夜と夜の恋人 【Flower of RomanceV】
バイトが終わって、「お疲れさんでした〜!」と従業員出口から外に出ると、粉雪に混じるみたいにパラパラと霰が降ってきた。それは夜目にも黒いダウンジャケットの上に散らばって、溶ける白い欠片が見てとれた。
――――――二月の終わり。もうすぐ三月になる。
半月前に瀬人とケンカした直接の理由は、モクバのことだった。
ちょうどモクバの養父母が離婚するという話が出た頃で、オレはそれを知ったモクバの相談にのっていた。モクバにしてみれば兄貴に必要以上の心配をかけたくなくて、何かと言いやすいオレにまず話を振ってきたにすぎないが、そのことが繊細な瀬人の心を傷つけた。まずいことにオレもモクバもそのことに全然気が回らず、だから瀬人は余計に自分よりも他人のオレをモクバが頼りしてると思ったのか、マジギレしてオレに食って掛かってきた。そんなこと、あるわけねぇって。あの小さな子どもはオマエのことでいつも頭がいっぱいだってのに。
「さむっ……」
手袋なしで歩いていると、夜の容赦ない冷え冷えした空気が、切れ味のいい刃物のように肌を刺す。真っ直ぐ家に帰ろうと思っていたが、いつもの癖で瀬人のいる施設のほうへ続く道を歩いていた。ケンカしてるから、逢えるワケでもないってのに、毎晩瀬人の部屋の明かりを見て帰るのが習慣になっていた。
でもコレは、子どもの頃からずっとなんだ。
きっと瀬人は気づいてねぇだろうけど、あの施設を出てまた父親ともとの団地で暮らすようになってからも、家に帰る前に大抵この道を通って帰った。
雨の日も雪の日も、馬鹿みてぇって思いながらも、あの灯りを見たら色んなことに耐えれるような気分になれたんだ。母親と妹が帰ってこない寂しさも、理不尽に親父に殴られる身体の痛みも、どんなに辛いことがあっても。
いつ頃からか、あの窓から部屋に出入りするようになったオレのために、瀬人は窓の鍵を外して置いてくれるようになっていた。
そりゃたまに閉まったままになってる事もあったけど、そういう時は窓ガラスを叩いたら、不機嫌そうな顔をした瀬人が鍵を開けてくれるんだ。神経質な瀬人が、自分のためにそんな不用心なことをしてくれてることに、どんなにときめいたかなんて説明出来ない。
施設から家に戻ったところで、幼いオレにはいいことなんて何もなかった。親父が酔って家で暴れるのも酷くなる一方だったし、母親と妹の消息は掴めないままだった。
あの頃がオレの人生の底辺だった気がしてならない。
でもどんなに辛いことがあっても、ここから見えるあの窓の向こうに瀬人がいるって思ったら、オレは憑き物が落ちたみたいに静かな気持ちになれたんだ。だから本当に自分の中の堤防が切れてしまう時が来ても、あの窓の向こう側にはオレが居ることが許される場所があるんだと、そう思えば耐えられると思ったんだ。
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