ヘッドフォンに耳を傾けて、僕は真昼の雑踏で人待ち顔。
待ち合わせの相手は遊戯くんで、僕たちは二人で童実野美術館で今日から開かれる個展を見に行く。新進気鋭のアーティストによる新作展。春にパリで開かれて評判になったのをそっくりそのまま持って帰ってくるというので話題になっていた。唯一、壁一面を使った大作だけが入れ替えになるという。パリでは会場でその大作の最終の修正を、観衆が見守る中でアーティスト自らが行ったのだと日本でも報道されていた。その絵と対になる作品をやはり制作の現場を見せるという形で、個展をひとつのアート・イベントとして完成させるつもりらしい。
僕がそれを観たいと思ったのは、彼がアクリルを基調とした現代画だけでなく、立体作品として多くのフィギュアも手がけている作家だったから。いつもならこの手の展覧会は一人で見に行くんだけど、今回は珍しく友達と一緒だ。
先月だったろうか、たまたま駅までポスターを眺めているところで遊戯くんと鉢合わせたのがきっかけだった。
(あれ?獏良くん)
珍しく彼はひとりで。
(・・・偶然だね)
僕もひとりだった。
なんとなくポスターを前に話をしてるうちに、その個展に一緒に行くことになった。今回の個展のタイトルは、やたらと胸を揺するようなタイトルだったから、遊戯くんは(これ、僕も気になってたんだ)と言った。
学校がない土曜、友達と一緒に美術館。
よくある光景。簡単に平凡な日常に混濁するような。
バーガー屋の角から、「精一杯の全力疾走」いう風情で遊戯くんが走ってくるのが見えた。ぱたぱたと小さい生き物がオモチャみたいに近づいてくる。
「・・・ご、ごめんね、獏良くん。待たせちゃった?」
その瞬間、待ち合わせた駅前の大型ヴィジョンが、大きな鐘の音を鳴らしながら午前十一時を告げていた。
「ううん。今日は僕が早く来すぎただけだから」
そういえば遅刻魔の僕がこんなに早くに待ち合わせの時間に来ることは珍しい。人との待ち合わせなんて久し振りだった。だから勘が狂ったのかも。いや、遅れないで来ることは最低限の礼儀なんだけど。
「うわー・・・」
美術館の入口に一歩足を踏み入れると、吹き抜けになった天井に向けて数え切れないくらいのバルーンが飛んでいた。大きいのから小さいのまで、グロテスクなキャラクターのアップがビビット・カラーでペインティングされている。
「こういう個展って初めて?」
バルーンを見上げて上を向きっぱなしの遊戯くんにそう聞いてみた。
「うん。なんだかすごいねー・・・」
さっき受付でチケットと引き替えに腕に巻き付けられたソフトビニール製のリストバンドを、何度も眺めている。スケルトンオレンジの細いそれには個展名のロゴが入っていて、その先に限定のキューブリックが付いていた。渡されて僕は袋に入れたまま鞄にしまってしまったそれを、遊戯くんはサッサと袋から取り出して腕に巻き付けた。
「獏良くんもしてよ!」
これは限定だから袋から出したくないんだ、と言おうと思ったのに、なぜか(そうだね)と笑って同じように腕に巻いてしまった。
どうせまた期間中に来るだろうからかまわないや。手首でキューブリックがゆらゆら揺れている。
不思議とワクワクした気持ちになった。
「あは。お揃いだね」
遊戯くんは満足そうに自分の手首を持ち上げて笑顔になる。
僕らは声を潜めるように談笑しながら展示場のひとつひとつをジッと見て回った。絵もいいけど、やっぱり立体に興味がある。ひとつのフィギュアの前で立ち止まっていると、遊戯くんが僕の顔を下からジッと覗き込んできた。
「・・・?」
首を傾げてみせると、慌てて両手をバタバタさせてる。
「ううん!獏良くん、楽しそうだなと思ってさ」
あはは、と笑いながら、(邪魔してゴメンネ。ゆっくり見てね。)と言われた。
「 そういえば、一度聞いてみたかったんだけど」
僕の胸元くらいまでしか身長がない遊戯くん。思いっきり顔を上げてくれないと目線が合わない。
「なに?」
丸い目がじっとこっちを見てる。
「遊戯くんってね。もう一人の君といつも一緒なの?」
ちょっと気になってて聞けないでいたこと。それを口にしてみる。みんなと一緒だと何となく聞けなかった。
「もう一人のボク?・・・えー・・・どうかなぁ。でもいつも近くにいる感じがするよ?話し掛けたら返事が隣でする感じかなぁ」
ふぅん。と、言いながらも想像がつかなかった。
「今もいる?」
「うん。頭の中で色々訊いてきてる。こういうの、初めてだから面白いみたい。でもちょっと気持ち悪がってる(笑)」
とても嬉しそうに話す遊戯くんに、違和感を感じてるのは僕が自分の中にいるあいつに対して同じような気持ちを持てないからなんだろうな。
そう思った瞬間、首から提げたリングが、カシャン、と鳴った。
「獏良君は?」
そう言われて、意識がそっちに逸れる。
「・・・僕?」
まぁこんな質問したら、聞き返されるのが自然なんだろうけど。なんとなく嫌だな、と思ってしまう。
「僕達はどうだろうね。普段は全然何も感じない。あいつが出てきてる間のことは憶えていないしね。遊戯くん達みたいに話をすることもないよ」
なんとなく僕一人が気まずくて、次の展示品へと足を動かした。
「どうかしたの?」
遊戯くんが突っ立ったままでボーっとしてるから、思わずそう問いかけた。
「”そいつはキミのことがすごく気になってるみたいだぞ?”だって」
そう言われた僕は、一瞬なんのことを言われてるのかわからなくてキョトンとしてしまう。
「そいつ?」
思わず後ろを振り返って、ああ、僕の中の盗賊のことか、と思い至る。
「うん。もう一人のバクラくん」
もうひとりの。
僕にまるでそんな自覚がないのに、人から見ればそうなのだと言うことにやっぱり違和感を感じた。もう一人の僕。それが”僕の中の半分”なのか”僕の中に入りこんだもうひとつ”なのか。つまりは1/2なのか2/1なのかがわからない。
「それは誰が言ってるの?もう一人の君?」
そう聞き返すと遊戯くんは無邪気に笑った。
「うん。すごく好きなのに、キミにはそう言えないんだって言ってる。歪んでるから、ってさ!」
僕は茫然と立ちつくして返す言葉さえない。
だってそんな素振りさえ見せたことはない。
僕にとってあいつはイライラの原因でしかない。
「すごい怖い顔してるんだけど・・・僕、なにか余計なこと言っちゃった?獏良くん」
その声にハッとした。胸がチクリとする。でもそれは僕の感情じゃない。
「・・・ごめんね」
慌ててそう謝った。遊戯くんはニコリと笑ってくれたから、ホッとする。
だって僕に言えないようなことを、もう一人の遊戯くんには言うのかと思うと苛々したんだ。どういうことだよ?って思ったんだ 。
(召喚するかドアを開けるか回復するか全滅するか)
あの日、駅前で立ち止まって見ていたこの個展のタイトル。
その意味するものが、僕の中のあいつのイメージそのものだったから。あのポスターを見つめていた僕を、遊戯くんはどういう風に見ていたんだろう?僕のどこまでを見つめてあの時僕に声を掛けたの?
いつだってまるで無邪気を装っている、君のその笑顔の先がみえない。
「・・・かなわないな」
そう呟くと、(なに?)と遊戯くんに訊かれたから、ひとりごとだよ、と苦笑した。
いつかもっと深いところで君たちとは話をすることがあるのかしれないと、それともかつてそういうことがあったのかもしれないと、そんなことを思いながら僕は思いついたようにお揃いのリストバンドをした遊戯くんの手首を握ってみた。
まるでとても仲のいい友達みたいに。