夕暮れ時のカフェテラス。
買い物帰りにつかれた足を休ませるためにティーオーレを頼んだ。隣の女の子が食べてるフルーツケーキが美味しそうだったら、それも一緒に。
色鮮やかな苺やブルーベリーが散るそれにフォークを刺して切り崩す。甘酸っぱい香りが口の中に広がった。少し甘めの生クリームがちょうどいい。ほんのりとライチリキュールの味がした。
こういう瞬間に広がる幸福感について考える。
ウットリと目を閉じてしまうみたいな幸せの湧きだす源について。
何時の頃からか、僕は僕の幸せにそっと重なるような幸福感を感じることがあった。それはまるで双子の感情のように重なってみえるから、それが誰か別の人間の感情かもしれないだなんて、普通なら考えたりしないだろう。
”普通”なら。
・・・あいにく今の僕の置かれている状況は、”普通”と言うにはちょっと説得力に欠けていた。こうやって僕自身は普通に暮らしているつもりでも、その影には全く別の人格が溶け込んでいるからだ。ほんの少し前までは、それはただの悪い夢みたいなものだと思っていた。自分の内側を、異質なものに巣くわれてるなんて。
だから今こうやって目の前のスイーツに感じる幸福感に重なる些細な違和感が気になって仕方がない。チラチラと服の裾だけ見える感じに似てる。
僕は思わず小さくため息をついてみた。
おい、と心の中で話し掛けてみても、返事が返ってくることはほとんど無い。それはある意味めったと僕に干渉してくることがないということでもあったけど。
僕が一口食べただけのケーキの、その二口目を食べようとした時、ちょうど座っていたテーブルの向かいの窓にパラパラと雨粒が散るのが見えた。
「あーあ・・・」
ついてないなぁ、傘持ってくるの忘れたのに。そう思っていたら、激しい通り雨から逃げるように、庇の下へ雨宿りに来た人影に見知った顔を見つけた。
「城之内くん?」
窓の内側に僕がいることに彼はまるで気がつかない。ついてない、といいたそうな顔をして、いつの間にか真っ黒な雲に覆われた空を見上げていた。
コン、コン。
ゆっくりと彼の耳元に近い窓硝子を内側から叩いた。
(ばくら?)
振り返った城之内くんの唇が、僕の名前の形どる。
僕は入っておいでよ、という仕草で手招きをした。
「・・・いただきます」
神妙な顔をして、カフェオレに口をつける城之内くんをわざとジロジロ見ていた。彼はバイトが終わって、どこかに用事を済ませにいくところで、この雨に足止めを食らったのだという。
「どういたしまして」
猫舌なのか、熱いカップになかなか口を付けられないでいる。フーッと吐いた息で表面をさまそうと必死なのがかわいい。
この間のお詫びにカフェオレでも奢るから、と、彼を引き留めたのは僕だった。
”この間”というのは夏前に起きたちょっとしたアクシデント。
* * *
「でさー・・・オレが光の護封剣を出した途端に遊戯が!」
話す合間に、同意するように軽く頷いていれば、城之内くんは僕を退屈させまいとしてか、饒舌に色んな話をしてくれた。夏の間いっぱいやっていたプールの監視員のバイトでも面白ネタだとか、最近遊戯くんと決闘をした時の話とか、次から次へとよく話が続くなぁと思いながら、ニコニコしてみせた。
表情の多い彼を見ていると、それだけでこっちも楽しい気持ちになるのは本当で。
だから城之内くんの回りにはいつも人が集まるんだと思う。なんやかやいいながらも結局は面倒見がよくて心根が優しい彼の性格にすべて回帰する。
「なんかオレに話しあったの?獏良」
ふっと途切れた話の合間に、城之内くんは僕の目をじっと見ながらそう言った。
「そんな風に見える?」
急にそんなことを言われてちょっと慌ててそう言った。
「・・・・いや、なんか言いたそうにしてたからさぁ。ちがった?」
じっとまるで人なつっこい犬みたいに、首を傾げてじっと僕の顔を見つめてくるからドキッとする。それは別に彼に対して恋愛感情があるとかそう言うのではなくて、なんていえばいいだろう。人間なら誰でも持ってるような些細な疚しい気持ちを見透かされたような気分になるからだ。
城之内くんはいつもそんな風に、急に核心をついてくるから侮れない。
「・・・早くこの雨が止めばいいのになぁって思ってた」
慌てずにいつものポーカーフェイスで城之内くんにニッコリ笑って見せた。
僕は僕自身の内側で、悪しきものを飼い慣らそうとしてる。
城之内くんや遊戯くんは、何度もアイツを僕から引き離そうとしてくれたのに、その忠告も聞かないで。
だからこんな時、僕はいつも考えるんだ。
この今も首から提げているリングを外しさえすれば、僕は何の後ろめたさもなしに、君たちの目を見ることが出来るんだろうか?って。
「・・・あのさぁ。オレ、前から思ってたんだけど」
僕の顔をじっとみて、城之内君が無遠慮に口を開いた。
「おまえがあのリングを外さないのは、アイツのことが好きだからか?」
そのひとことにビックリして、僕はまるでドラマの一コマみたいに手にしたティーカップをテーブルの上にひっくり返した。
「おい!」
「ごめっ・・・!どうしよ・・・」
机の上に飲み残していたティーオーレが広がって床にパタパタと雫を零す。慌てて飛んできたウェイターが、僕が落としたカップも汚したテーブルも床も、あっと言う間に綺麗に片づけてくれた。
* * *
「悪ぃ・・・急にあんなコト訊いて」
新しく運ばれてきたティーオーレに角砂糖を落としていると、城之内君が頭を下げながらそう言う。
そう言われて、僕は何となく気まずい気持ちになった。彼は僕が敢えて目を逸らしていた現状の核心を突いてきたにすぎない。
「城之内くんはいつだって悪くないよ?」
でも僕はこの心の中に渦巻く感情を誰にも気づかれてはいけないような気がして、まるで何事もなかったような顔でそう答えた。そう答えることで、さっきの城之内くんの質問から逃げようとする。
「・・・で?じゃあさっきのオレの質問に答えろよ」
こういう時にタイミングを間違えずに食いついてくるから苦手だと思うんだ。
「・・・僕がアイツをどう思ってるか?」
仕方なくそう言うと、目の前でこくりと頷かれた。
もう人肌に冷えていたカフェオレのカップは手の中で空っぽになっている。
「好きとも嫌いとも思えない。どんな感情も抱けない。ただ 」
リングが僕の胸元で、小さく震えるのを感じ取る。そんなことにほだされたりはしないけど。
「ただ?」
身を乗り出して首を傾げる城之内君を今度は真っ直ぐに見つめ返した。
「幸福について考える 僕にとって、その在りようについて」
滅多に僕に直接的に関わることがないアイツの、そのささやかな幸福と不幸くらいが僕に感じ取れるその全てであり、それだけでもあった。
この心を揺らす幸せも不幸せも、僕一人分の分量以上に感じる先は、アイツの領分なのだろうと思わざるを得ないんだ。
「・・・オレ、難しいこと言われてもよくわかんねぇんだけどさ。結局、獏良は今それで幸せなのか?」
僕の言葉に、ポツンとそう聞いてきた城之内くんに、思わず笑ってしまった。
「そんなに笑うなよな」
かなわない。
本当にかなわない。
だって彼は別段好奇心をもって僕を問いだしたわけではなく、単に僕が現状を憂いているんじゃないかとご親切にも心配してくれただけなのだ。
「ありがとう。僕はちゃんと幸せだよ?」
こんな風に心配してくれる友達が周りにいてくれる。
城之内くんだけじゃない。みんな彼と同じような善良さで僕に接してくれようとする。そして無意識に殻に閉じこもろうとする僕を、引き上げようと手を伸ばしてくれる。
「ならいい」
手持ち無沙汰に、でも気恥ずかしくなったのか、窓の方を向いてしまった城之内くんが小さい声でそう言った。
「なんかお腹空いちゃった。城之内君もケーキ食べる?」
すっかり空になった皿に、もう一つ同じものを頼もうかと思って、彼にもそう聞いてみる。
「なぁ。それそんなに美味いの?」
空になってる僕の目の前のケーキ皿を見ながら城之内君がそう聞いてくる。
「フルーツケーキ?僕は好きだけど」
でもここのケーキはどれも美味しいと思うけど、と付け加えると、城之内くんはガタン、と席から立ち上がった。
「あ。じゃあそれ買っていこう」
嬉しそうに頬を緩めて笑う笑顔に少し胸が痛んだ。彼の心を大きく占めるのが自分でないことがよくわかる。
「・・・彼女におみやげ?」
さっきのお返しに、僕は精一杯皮肉っぽくそう訊いた。
こんなに真っ直ぐ自分を見てくれるような人間に、好意を持たれる人間は、素直に羨ましいと思えるから。
「ばっ、ばーか。そんなんじゃねーって!ちょっと人ん宅に寄ってく用事があるんだよ!」
おたおたと耳まで赤くして口ごもってちゃ、そんなの言い逃れにしか聞こえないのに。口を押さえながら、あーあ、というのが可愛くて、僕はクスクスと声を上げて笑った。
「じゃあ本当にごちそうさん。雨も上がったし、オレ、そろそろ行くわ」
そう言ってテイクアウトのケーキを選ぶために城之内くんはカウンターの方へと消えていく。
僕は笑顔のままでヒラヒラとその背中に手を振って見せた。
その時、少し寂しいと思う気持ちを撫でるような甘い感情が湧いてきてギョッとする。
まるで慰められるみたなその感覚に。
「まさか、ね 」
おかしな妄想だ。でもカチカチとリングが震えてる。否定しようとする僕に、何かを訴えようとするみたいに。
「うるさいよ。さぁ、僕らも帰ろう」
別にアイツのことなんて好きじゃない。僕は何とも思ってない。
でも、震えるリングを握りしめたら、悔しいけどちょっとだけ暖かい気持ちになれたんだ。