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act.4

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 海馬の部屋があるホテルから、歩いて数十メートルほど先に外国人向けのスーパーマーケットがあって、その裏側に、小さいコンビニがあった。
 そんなに広くないが清潔感がある店内では、店長っぽい年輩のおっさんが、パン棚の商品を入れ替えている最中だった。黄色い買い物カゴをとって、さっき中を見た海馬の部屋の冷蔵庫を思い出しながら店内を1周する。
 まずドリンクの棚の前で、珈琲豆はあったっけ?と考えた。エスプレッソマシンがあったけど、あれは使い方が分からないから却下だな。まぁとりあえずオレンジジュースのパックをカゴに入れる。あとは生卵を1パック、チーズとバターはあったけど、なさそうだった食卓塩、ポタージュのカップスープ、並べたての4枚切りの食パン1斤・・・こんなもんかな、とレジに進んだ。
 何を作ろうかと考えて浮かんだのは、子供の頃によく作った朝食だった。
 もうウチの家が崩壊しかけていた頃、夜勤から帰ってきた母親を起こさないようにして、妹と二人で台所に立って作ったメニュー。チーズオムレツと王様トースト。
 その頃、静香のお気に入りだった童話の中で、とびきりわがままな王様が、お抱えシェフに毎朝作らせていたのと同じヤツ。あの頃は全然上手くできなかった。でもボロボロのオムレツを、それでも美味しいと言ってくれたのは小さな妹だったけど、オレがせっかく上手く作れるようになった頃にはもう、離ればなれになってしまった。
 静香はもう憶えてないかもしれないけど、寂しくなると一人で作って食べていたような気がする。他には誰もいない部屋じゃもう誰も、「美味しいね」とオレに笑いかけてくれるわけでもなかったのに。 
 だた甘いトーストの蜂蜜の味が記憶に苦く蘇る。
 
 
 さっきのあの部屋のキッチンに立った時、なぜか急にあの頃のことを思いだした。自分の中の「寂しい」という言葉に直結するイメージというかトラウマというか。
 あの日、オレが作った朝飯を、美味そうに食ってくれたその妹は、今だ病の床にあった。
 
 王国で手に入れた賞金で、やっと見えなくなりかけていた目の手術にこぎ着ける所まで来たのに、ココまで来て、オレもお袋も、手術を受ける静香自身も、不安で仕方がないというのが正直な気持ちだった。
 「100%成功する手術だ」っていくら医者に言われたところでそういう不安は消えてくれない。ウチのお袋は看護婦だから、そんなオペがあり得ないことは十分知っている。この世の中で、絶対なんてものにはそうそうお目にかかることがない。
 そんなこと、わかってるのに期待する。
 静香の眼球の底には腫瘍があって、それを取り覗いても右目は圧迫されていた神経が死にかけているから、オペが上手くいくかは実際、半々くらいの確率だろうという話を、何日が前にお袋に聞かされた
 もともと子どもの頃に受けていれば、もっと成功率の高い手術だったんだ。
 静香がちょうど3つになった時の検診で、病気のことがわかったんだと後から教えられた。オヤジは、その金を算段するために、危険な現場ばかりを引き受けたあげく大怪我をして、いまでは仕事もしねぇタダのアル中になっちまった。
 
 パタパタと倒れていた幸せな家庭というドミノ。黄金色の子供時代なんて遠すぎて、本当に遠すぎて記憶さえ淡い。それでもオレが幼稚園に入った頃までは、平凡でも幸せな家庭は確かにあったんだ。
 
 そんなことをグルグル考えていたけど、中にペットボトルが整然と並んだガラスの扉に、やたらと冴えない表情の自分が映っているのを見つけて、そのあまりのカッコ悪さに我に返った。
 
(シケたツラしてんじゃねーよ)
 
 苦い笑いばかりが口元に浮かぶ。最後にレジ前にあったガムの棚から、ブルーベリー味の紫色したパッケージをひとつつまんでカゴの中に放り込んだ。
 
***
 
 静かに部屋に戻ると、まだ空気が動いている雰囲気がない。まだ海馬は寝てるんだろう。
 オレはそのまま大きな音を立てないようにキッチンに入って、とりあえず買ってきた物を並べてみた。
 とりあえずグリルでパンを焼こうと、ガスの元栓をひねる。棚からフライパンを取り出して、火にかけた。冷蔵庫から取り出したバターを少しナイフで切りとって、温まってきたフライパンに落とすとジュッと音がして黄色い固まりはフチから溶けていく。ボールなんて勿論あるわけがないから、細身のグラスに卵を二つ割って塩をふり、フォークでカチャカチャとかき混ぜる。バターが溶けきったフライパンに卵を流し入れ、卵を綺麗に形づけながら、内側に切っておいたカマンベールを巻き込んでやった。うっすら焦げ目をつけてから、白地に青い蔦模様が入った皿にオムレツをそっと載せて、あとはケトルで沸かしたお湯をカップスープに注ぐ。ちょうど焼き上がったトーストに、丁寧にバターを塗ってから、蜂蜜を重ねて塗って出来上がり。
 
 チラッと腕時計に目をやると、6時過ぎになっていた。海馬も明日7時には出ていくと言っていたから、そろそろ起きるだろう。今日のバイト先は駅二つ先だから、そろそろオレもここを出ないとヤバイ。
 
 まだほのかに湯気が上がる皿をダイニングの机に並べてから、オレはオーディオセットの上にあったメモを破いて伝言を残す。
「一夜の寝床の恩返し!」
 それだけ書いて、オレンジジュースを注いだグラスを重しにした。海馬がちゃんと食うかどうかは別として、まぁなんか、本当気持ちの問題。
 
 (あーあ。タダ働きしちまったなー)と思いながら、オレはまだ寝ているであろう部屋の主を起こさないように、そっとその部屋を後にした。
 
***