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act.5

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 王国から帰ってきたら、勿論バイトはクビになっていた。
 新聞配達なんていう職種で長い休みなんて取れるわけがなく、判っていながらそれでも行った自分が悪いんだから、しょうがないっちゃーしょうがない話だった。帰ってきたら雇って貰えそうな新しい配達所を探せばいいと軽く考えていたんだけど、世の中はそんなに甘くなかったらしい。
 リストラ・倒産と不況の波が吹き荒れるご時世、オレら学生とオバハンがバイトとしてうごめく新聞配達なんて職場の雇用枠にさえ一般職を追われた奴らが流れ込んでくるのだ。
 
 みんなの力で手にすることが出来た王国での賞金は、お袋に全部渡して静香の目を治すのに使って貰い、多少残った分も全部オヤジの借金の利息に消えた。一銭も残らないっていうのはこういうのを言うんだろう。まぁそんなわけでウチは相変わらずの貧乏で、オレは自分の食いぶちくらいは稼いでおかないとヤバかった。
 仕方なく手近な短期の早朝バイトなんかで食いつなごうとしていたときに、本田が今のバイトの話を持ってきた。
 
(・・・あんま勧めたくないけど、オマエに向いてる割のいいバイトがあるんだよなぁ)
 
 どーせロクなバイトじゃないんだろうと思って、普段なら話も聞かないシチュエーションなのに、その時のオレはその本田の持ってきた話にまんまと食いついてしまったのだ。
 
 大体にして、胡散臭いとは思ったんだ。
「合法的かつ健全な援助交際みたいなもんだよ」なんていう甘い誘い文句自体がヤバい。だいたい時給が今までの五倍っていうのが怪しい。それでもそんな話に乗ってしまう程度に、オレは金に困っていたのだ。
 
***
 
「おはよぉございまぁーす」
 
 知らない家の台所で目玉焼きを焼きながら、起きてきたこの家の主に向かってそう言った。
 今日のオレの客はこのオッサンだ。オレのオヤジよりちょっと年上ってカンジだろうか。チッ。美人キャリアウーマンとかって最近、滅多にあたんねぇな・・・。
 
 灰色のパジャマにガウン姿のオッサンは、まぁ雰囲気からして会社重役ってトコか。こんないいマンションに一人暮らしって言うのは、嫁さんに逃げられたかなんかだろうな・・・とちょっと想像を廻らせてみる。
 
 みそ汁はあと火を切って椀に注ぐだけだし、飯ももう炊きあがってる。冷蔵庫に残ってたウインナーを目玉焼きの後で炒めたら朝食の準備は終了だ。
「お茶は冷たいのと暖かいのとどっちがいいっスか?」
 時計の針はちょうど七時半。この家からなら学校は二駅先だから始業時間にはギリギリ間にあうだろう。
「ああ・・・じゃあ熱い緑茶をお願いできるかね」
 ちょっとボンヤリした後で、そういう言葉が返ってくる。オレはなるべく機嫌よく聞こえるニュアンスで、ハイッと笑顔で答えてみた。
 
 本田(というか正確には本田のねーちゃん)が紹介してきたバイト、というのは要約すると朝食のデリバリーサービスだった。
 知らない人の家や、ホテルの一室に送りこまれて、そこにあるもので朝食を作って、依頼人を起こして飯を食わせる。そんで会社なり、なんなりへ「いってらっしゃい」と玄関で送り出してやる。簡単な会話以外、自分のことは話さなくていい。大体はどの客も口数は少ない、何も喋りたくないくらい、疲れてる人ばっかりだからだ。どちらかというととりとめのないことを聞かれることが多くて、それかドラマや映画の話とか、あとは恋人への愚痴や仕事のぼやき。
 そういうバイト。デリバリーと言うよりは、レンタルファミリーってうのに近い。レンタルするのは家族じゃなくて、きっと家族がいた光景なんだろうけど。
 
 それでも大切なのは、何を聞いても答えても、ただ笑っていられること。笑顔を絶やさずにいれること。
 
 うん。本当に笑顔と挨拶が出来て、ちょっと料理が出来れば出来るバイトだった。料理って言っても、飯が炊けて、みそ汁とあと卵でも焼ければそれでいいくらい。


 本田が「中学の家庭科の範囲内だ」といっていたのは割と正かった。一件につき、だいたい二時間そこそこで、このバイトに週2回入れば月にして新聞配達をやってたのと同じくらいのバイト代になる。割がいいと言えば本当にそうだ。

 でもなかなか長くヤツがいないバイトらしいと聞かされていた。
 「あなたみたいな若い男の子は、大抵、長くても半年くらいで辞めてしまう」と面接の時にも再三言われた。その理由はオレも、始めのうちは全然判らなかったけど、最近になってなんとなく判ってきたような気がしていた。
 
 ・・・なんていうのかな、負のエネルギーが凄いんだ。
 
 依頼人がマジで暗いっつーか、今にも自殺しそうな人が多いとかっていうのはあんまり無い。そういう依頼は始めっから依頼自体を断るらしいから。
 本当に意外なくらいフツウっぽい人が多い。フツーに会社に行って働いて、たまの休みは家族サービスしたり、デートしたりして楽しんでそうな人。
 でもさ、実際依頼人の家なり宿泊先のホテルなりに行くとするだろ?そしたら絶対、なんかフツーじゃない、ものすごく圧迫されたみたいな空気を肌で感じる。
 それとあともうひとつ。
 朝目覚めてすぐの顔って、自分じゃわかんないじゃん。
 でも人間の精神状態って、オレは朝一の顔で判るなぁって思った。まるで本音みたいに顔に出る。楽しいことも、苦しいことも。幸せなことも、不幸せなことも。
  
        コワイっつーか、苦しい。
 
 人が普段隠してるせっぱ詰まった苦しみや、どうしようもないやるせなさ。
 ああいうのを閉鎖感って言うのかな。まるで先がないカンジなんだ。部屋の空気が動いてない。ピタリと止まって沈んでいる。依頼先の玄関に一歩足を踏み入れて、後ろ手でドアを閉めた途端、息が出来なくなりそうなくらいに苦しくなる。
 
 シーンとした台所で一人で食事を作りながら、オレはいつもぼんやりと自分の家族のことを考える。
 飲んだくれのオヤジ、病院に居る静香、この前久々にあったらなんだか老けて見えたお袋。子供の頃のこと。
 
 ・・・ウチの家も家族揃って食事をしてた頃があった。
 
(おにいちゃん、あさごはんだよぉ)と、寝覚めの悪いオレを起こしに来る小さい静香。二段ベットの上、枕元で鳴り続けるアヒルの形をした黄色い目覚まし時計。寝ぼけ眼を擦りながら、妹の手を引いてペタペタと冷たい床を裸足で台所まで歩いていく。
 台所って好きなんだ。「家族」っていうのが暮らしてる家の台所は、暖かくて白い湯気に包まれてるカンジがするから。そこではお袋が忙しく朝ご飯とオヤジの弁当の準備をしてて、寝ぼけ眼のオレ達兄妹に、(はやく顔を洗ってらっしゃい)とか言ったりする。
 そういうの全部。すごい懐かしくて、懐かしいけどすごく遠い。
 台所っていうのは幸せな家族の象徴みたいなイメージがある。そういう意味で、オレはここでの自分の存在意義を十分すぎるくらい理解していると思った。
 
***