「・・・見つかったのか?」
海馬の部屋の風呂場にある乾燥機の中に頭をつっこんでごそごそやっていると、後ろから声が聞こえてきた。
「あったことはあったんだけどよー・・・」
落ちてしまった鍵は、乾燥機の底にあるフレームの合間に綺麗に挟まっていてなかなか上手くとれないのだ。短い爪でひっかけようとしても上手くいかない。
「なんか底の部品の間に挾まっちまって取れねぇんだ」
我ながら情けねぇ声だ。
「もう諦めろ。今フロントに電話してやったから、誰かが道具を持って来るだろう。そっちに任せてとってもらえばいい」
・・・期待してもないような甘言に思わずビビってしまった。
「スゲー助かるけど、でもいいのか?悪くねぇ?」
四つんばいのままで、ドア横にたってる海馬にそう聞く姿はかなり情けねーな、と自分で思いながらもそう返す。
「下手にオマエにいじられて、壊されでもしたらかなわん」
海馬がそう言った瞬間、ポーン、とドアのチャイムが鳴った。
「ほら、もう来たぞ」
海馬が玄関に向かったあとも、やっぱり諦めきれずに手を伸ばしたけど、余計に取りにくい位置に動いてしまう
結局、フロントから来た若い従業員が、ドライバーを使って、鍵を救出してくれている間、オレと海馬は、ダイニングのテーブルで、運ばれてきたルームサービスが運んできたミルクティを飲んでいた。
***
先週、ちょっとしたアクシデントがあった。ちなみに昨日、この部屋に泊めて貰えた海馬への貸しっていうのがそれにあたる。
・・・あの月曜の朝、オレはバイトが長引いちまって、完全に遅刻という状況下、駅前から学校に向かって全力疾走していた。理由は月曜の一・二限は合同体育だったからで、出席が直に成績に響くその授業にはたとえ遅刻だろうがなんとか出ておきたかったんだ。
なのにちょうど学校の近くのコンビニの前を通ったとき、見知った顔を店内に見つけてしまった。
「モクバ?」
なにしてんだ、あいつ。小学校なんてとっくに授業が始まってる時間なのに。
どういう理由があるのか知らないが、あそこのコンビニの店長はこういうのにウルセェから、速攻で補導員に通報されんのがオチだ。
「あーあ・・・オレは時間がねぇってのに!」
仕方なく、コンビニの店内にズカズカと入っていって、ボンヤリ雑誌を見ていたモクバの手を引っぱった。
「城之内?!」
ビックリして声をあげるモクバの耳元に屈むように口を寄せて、(静かについてこい!こんなとこにいたら補導員が飛んでくんぞ)と言って、その手首を掴むと店の外へと引きずり出した。
コンビニからすぐ近くの公園まで来て、ベンチに座らせたモクバに、入口の自販機で買った缶入りの熱いココアを握らせた。ここまで引っ張って来る間、掴んでた手があんまり冷たかったからだ。
「・・・別にオレ、補導されてもよかったのに」
いつものボーダーシャツにエアテックといった服装のモクバは、ココアを両手で受け取ったまま表情を曇らせてそう言った。
「オマエ学校は?」
そう聞くと黙って首を横に振る。
「どうする?このままちゃんと学校行くか、オレに兄貴のとこに突き出されるか、どっちがいい?」
このままじゃ埒が明かなくて、オレがそういうとモクバは今にも泣きそうな顔になった。
「そんな意地悪ゆうなよ、城之内ぃ」
この気の強い子供がそんな顔をするからビックリする。
「なんで行きたくねぇのか、オレが納得するような理由があるなら見逃してやるぜ?モクバ」
そういうと、意を決したような顔をして、モクバはポケットから一枚の紙を取り出した。
「・・・父兄参観ねぇ」
拗ねたみたいにむくれた顔で下を向く。
よくよく話を聞いてみれば、いつもこういった学校行事に来てくれるモクバが懐いてる家政婦さんが、娘の臨月で実家に帰っちまったから、学校に行くのがイヤで、自分のSPを撒いてまでしてこんなところをウロウロしてたのだという。
「今日はさぁ、しかも父兄参観でリンゴを剥かされるんだぜぇ。オレやだよ、食ってくれる人も来ないのに、そんなの剥くの」
半ばべそをかきながら、シュンとしたモクバがそうぼやいた。
オレはそんなモクバがなんだかほっておけなくて、ぐずるモクバの手を引いて小学校に送って行ってから、珍しく授業に出てきていた海馬をなんとか連れ出して、その授業参観にむりやり連れて行ったのだ(昼休みに半ば力ずくでモクバの学校まで引っぱりだしたから、さすがに殺されるんじゃないかと思った)。
***
「あれからモクバの様子が変わった。オレが屋敷に帰ると、嬉しげに学校であったことを話しに来る」
オレが熱いミルクティーのカップを手の中で持て余していると、海馬はぽつりとそう言った。
「・・・そらいい話・・・てかそれフツウなんじゃねぇの?小学生の子供がいる家庭としてはさ」
ずっと兄弟二人なら、なおさらそんなもんじゃないのかと思ったので、気の利いた返事が思いつかない。
「そうなのか?それがよくわからん」
海馬がジッと、オレの顔を見てくる。
「オマエだってそういうのなかった?家のドア開けたらその瞬間から、学校であったこと、なんでも母親に喋っちゃわなかった?」
モクバのことを相談するみたいに話す海馬は、どこか不安げでいつもと違って、返す言葉も選び辛くて。
「・・・学校は、高校まで通ったことがない」
海馬がシラッとした顔でいきなりそう言った。
「はぁ?」
あのさ、そんじゃ義務教育は?コイツ今何言ってンだ?!
・・・・それともオレが知らないだけで、海馬ン家くらいの金持ちになると、オレらとは別の社会的な枠組みやルールがでもあるというんだろうか・・・。
「家庭教師が1ダースと、頭だけはいい義父がいたからな。学校なんていう能率の悪い学習機関には通わなくていいと言われていた」
つまり家の中に自分のためだけの学校があったようなものだという。オレの想像とか理解を超えてる話ではあったけど。
「じゃあなんでオマエは今更ウチの学校に来ようと思ったのよ?」
本当に何で今更。童実野高校みたいな公立高校に来る気になったのか。
そう言うと、海馬の表情がちょっと険しくなる。
「・・・・いけ好かない大人に、しなくていいと言われたら、したくなるのが子供というものだとは思わんか?」
そして至極まじめな顔をして、オレにそう言った。
そんな顔するくらいなんだから、きっと本気でそう言ってるんだろう。
「つまりそれはさぁ、オレが休んでないで学校にちゃんと出て来いって言われればいわれるほど、サボってたのと逆ってこと?」
そう言うと、ちょっと苦々しい顔をして、「そうだな」と海馬が言った。
その時、風呂場からやっと出てきたホテルの従業員がやってきて、なんとか乾燥機からオレの鍵を救出してくれたらしく、笑顔で「よかったですね」とそれを手渡してくれる。
海馬は、チラッと部屋にあった時計の時間を見て、すっかり0時を越えてしまったのを見ると、不本意そうな顔で「今日はもう遅いから、ここに泊まっていけばいい」と、オレに向かってぽつりと言った。
***