all standard is you
act.8
***
 
 本当はもういいかげん家に帰ろうと思っていたのはずなのに、なんとなくまたここに残ってしまった。
 なんでだろう。
 ココに泊まっていけばいいって言った、さっきの海馬の顔を思い出す。
 何か言い足りなさそうな、何かが元から欠落してるみたいな。
 
 オレは昨日よりてきぱきとシャワーを浴びると、昨日と同じように用意されていたパジャマに袖を通してバスルームを出た。その足で、さっきまで話をしていたリビングに戻ると、すっかり電気は消えていて、オレより先にシャワーを浴びた海馬は、机の上のノートパソコンの電源もつけっぱなしで、昨日と同じソファーベッドに横たわって仮眠をとっていた。
 
 風呂に入ったくせに、またキチッとしたワイシャツとオリーブ色のスラックスを身にまとった海馬は、ちょっとそこに横になった風情でコバルトブルーの毛布にくるまって、小さな寝息を立てていた。
 警戒心いっぱいのその寝顔にちょっと苦笑する。なんだか眉を顰めるみたいに不機嫌そうな寝顔だった。
 でもそれはいつかどこかで見た、誰かの寝顔と重なって見える・・・今のバイトを始めてから、浅い眠りに身をゆだねるような、安堵とはほど遠い寝顔を結構沢山見てきたから。

 睡眠って言うのは、自分を安心できる空間に解放することなのに、まるで強
ばらせるみたいにして身体を縮める姿。こんな風に何時間寝たところで、絶対に疲れなんかとれないと理屈じゃなくて判るような。
「社長さんはそんなに大変、か・・・」
 それでもこうやってると高校生っぽくは見える。
 ・・・背は高くても痩せすぎだ。
 喋ってなくて、こんな風におとなしくしてれば、ただ綺麗なだけなのにな、と思う。
 華奢な身体を威圧感を持たせる為に、まるで稀代の役者が舞台を歩くみたいに振る舞って、海馬はその隙という隙を消していく。そんなカンジだ、コイツの歩く姿は。
 大体周りの空気がピンと張りつめてるせいで、重ね絵の手前の海馬瀬人ばかりが目につく仕組みになっている。だからその奥で揺らめく影は、どうやっても指の間をかすめていった。
 でも今なら何となく、チラチラしてたその隠れたところが見えてるんじゃねぇかなって思う。
 
 律儀に一番上まで留めたままのカッターシャツが苦しそうで、無意識に二つ外してから、細い首にかけてる革ひもが絡まっているのに気がついて引っ張り出してやる。はずみで開いた四角いロケットには、海馬の小さな弟の写真が入っていた。
 
「・・・随分ご加護がありそうなお守りだな(笑)」
 
 パチッとそれを閉じて、はだけた胸元に滑り込ませる。
 細くて白い首に、耳元に、焦茶の髪がさらりとかかった。ちょっとだけ、前髪を払うようにして触れてみると、びっくりするくらい柔らかい。今まで触ったことがあるどの女の髪より触り心地がよかった。
 払いのけた前髪の隙間から、苦痛を堪えるみたいに顰めた眉が垣間見えた。ギョッとした瞬間、眠ってるはずの海馬に手首をギュッと捕まれて心臓が止まりそうになる。
「わっ・・・」
 思わず大きな声を出しそうになってそれを飲み込んだ。俺の手を掴んだ指は震えていて、海馬が起きる気配はない。
 まるで祈りを捧げるみたいに丸くなった身体。毛布からはみ出た両手を、掴まれた自分の手首ごと毛布でくるんだ。しばらく離してくれそうにもなかったから、海馬の眠るソファーベッドのシーツに突っ伏すみたいにして凭れかかる。
 ちょっとだけここで寝させて貰おう。ちょっとだけ寝て、そっと握られた手を離して、そろそろ自分の家に帰ろう。
 
 こんなに苦しそうにしてるだけなのに、なんとなくずっとその寝顔を見ていたくなっている自分にちょっと驚いた。でも、いつも起きてるときの海馬の、あの冷たく光る青い眼が見たいとも思って苦笑した。
 
 こいつにも、オレと同じように、いや、多分オレ以上に、守らないといけないものがある。
王国でオレを負かした時に、海馬は確かこう言った。
 
「闘う理由や信念なら、どんな弱小決闘者の胸にも秘めらっれている。重要なのは、それを守り抜けるか、だ」と。
 
 あの時も本当はこう思った。目の前のムカツクこの男と自分は、どこか似てるところがあるかもしれない、と。実際、あの時オレと海馬が守ろうとしたのは、皮肉なことにお互いの弟妹で。本当は、オレは海馬を嫌ってばかりいてないで、もっと色んな所を見ないといけないような気がしてた。そうしたら今はいけ好かないコイツの印象だって、もっと違ってくるのかもしれないと、あの後何度もそう思ったんだ。
 でも。どうしてそこまで考えた?そんなの別に放っておけばいいことなのに。
 
          だってこいつがどんなに憎まれ口を叩いてみても、その言葉の一番奥には、まるで別の意味の言葉を見つけて欲しそうに隠すみたいだったから。
 
***
 
 目が覚めると、ベッドの上に海馬の姿はなく、青い毛布はベッドに凭れたままだったオレの肩に掛けられていた。自分のすぐ横にある机の上から、カチャカチャとキーボードを叩く音が降ってくる。
「海馬・・・?」
 半分寝ぼけて目を擦りながら視線の位置を上げると、昨日眠っていたままの服装で、海馬がノートパソコンの液晶を見ているのが目に入った。
 名前を呼んでも返事はない。
 オレは寝違えたみたいに痛む肩を回すようにして、床から立ち上がって海馬の後ろのベッドに腰掛けた。
「・・・おはよー・・・」
 昨日触った感触が指先に残っていた焦茶の綺麗な髪を、伸ばした手で無意識に触ったら、画面に集中していた海馬がビクッと肩を震わせた。
「・・・オレの邪魔をするなッ・・・!」
 キッと振り返った海馬に睨まれて慌てて伸ばした手を引っ込める。
 
「・・・なぁ」
 そのまままたキーボードを忙しなく叩きだした海馬に向かって声を掛ける。
「海馬」
 まだオレは夢見心地だったけど、腕時計はもう午前六時を指していた。
 
「・・・なんだ?」
 低い寝起きみたいな声がやっと返ってきてちょっとホッとする。
「あのさぁ。オレが今から飯作ったら、オマエちゃんと食ってくれる?」
 昨日買ってきた材料の残りもおそらく冷蔵庫に眠ってるんだろう。なんとなくヒステリックな海馬に、おそるおそる聞いてみた。
 
「・・・ここは珈琲も朝食も、電話ひとつで運ばれてくる。」
 半ば予想していた言葉を返されて、なんとなく寂しい。そりゃそうだろうけどさぁ、もっと言い方ってもんが、オマエ。
 
「・・・あのさぁ、昨日朝飯置いてったの、おまえちゃんと食った?」
 ちょっと情けない声でそう聞いた。
「・・・食べた。そんなみっともない声で聞いてこなくても、食べ物を粗末にするのは好かんのだ」
 ちょっと間があってそう言われて、妙に嬉しい気持ちになる。
「なぁ、あれ美味かったか?」
 まるで親に何かを強請る子供のように、そう聞いた。
「・・・・そうだな、不味くはなかった」
 言いにくそうに、そう小さく呟いた声がなんかマジで嬉しくて、オレは立ち上がって、青い毛布をベッドの上にパサッと落とした。
 
「じゃあ今日も作ってやるよ(笑)。それまでにその仕事終わらせな」
 
 海馬から返事がないということは、了承したと言うことだと勝手に決めつけてオレはキッチンに向かった。
 
 
 
***