オレは借り物のパジャマから学生服に着替えてからキッチンに立つと、手早く昨日と同じように海馬のための朝食を作り始めた。
トーストをグリルで焼いてる間に、チーズオムレツを焼きあげる。皿にオムレツと蜂蜜トーストを載せていると、ケトルからピーッとお湯が沸騰した音がした。パチン、と火を止めてスープの粉末が入ったカップに熱湯を注いだ。
「・・・おまたせ」
ダイニングに戻ると、海馬は椅子に座って新聞に目を通していた。
まさかもう座ってると思わなくてちょっとビビッてしまう。
海馬の目の前に、皿とスープとオレンジジュースが入ったグラスを置く。
全部並べ終わると、それまでまるでオレを無視するみたいに新聞を読んでいた海馬は、綺麗に紙面を降りた畳んで机の端に置いた。
「いただきます」
綺麗に手を合わせてそう言われて、一瞬ギョッとした。いや、なんとなく。だってそういうの、言うと思わねーじゃん。
オレは思わず頬をゆるめながら、海馬が切り分けたオムレツを口に運んでいるのを眺めた。
「なぁ、美味いか?それ」
金貰ってやるバイトと同じように、他人に飯を作ってやってるだけのことなのに、オレは何となく嬉しかった。嬉しいというか、ちょっと愉快な気分だ。
「・・・まぁ食えないことはない」
そう言う海馬のまだセットされてない髪はちょこっとだけはねていて、そういう姿を見たことがなかったから、子供っぽいな、かわいいかもしれないな、と、少しだけ思う。
「貴様は食わないのか?」
トーストを口元に運ぶ指先を見ていた。細くて長い指だ。
「オレはバイト先で食うからいい」
今日の依頼は八時だから、もう少ししたら、ここを出ないといけなかった。
観察するみたいに海馬を眺めながら、コイツは背筋が綺麗に伸びてるから、ナイフとフォークを構えただけで絵になるんだな、というのがわかった。オレがジッと見てるのが気になったのか、軽いため息をつきながら愚痴ってくる。
「・・・他人に食事する様を観察されるのは苦手なんだが」
不躾だ、とでも言いたげに。
「いや、随分綺麗に食うんだなぁと思って、さ」
見とれてましたなんて言えなくて、笑顔でごまかそうと思って笑ってみた。
「綺麗?」
海馬は口を曲げるみたいにして、不思議そうにまた首を傾げる。
「フォークとナイフの使い方。」
そう言いながら、食事をする海馬の手元を指さした。
「・・・ふざけるな」
照れくさいのか、海馬の目の下が少し赤くなってるのがカワイイと思った。
「ふざけてなんかねーよ(笑)」
オレは自分のために入れたオレンジジュースに口をつけながらそう答えた。乾いた喉にネットリした甘さが絡みついてくる。
「・・・こんな時間からバイトに行っていたら、授業に間に合わないんじゃないのか?」
動かしていた手を止めて、海馬がそう聞いてきた。
「へ?ああ、オレのこと?!」
一瞬、何のことか分からなかった。
「貴様以外に誰がいるんだ」
だってオマエがオレのことなんか聞いてくると思わないっつの!
「ああ。今日は八時前に行けばいいからまぁ二限には余裕で間にあうぜ?」
多分九時過ぎには解放されるから、九時半には学校に着くだろう。
「貴様のバイト、前に言っていた新聞配達などではないだろう」
ギク。
痛いところを突かれた。
「んー・・・実はオレ、新聞配達はクビになっちまったんだわ。無断欠勤で」
隠してもしょうがないので、正直にそう答えた。
「それで?今は何をしてるんだ」
海馬に続けてそう聞かれて、オレは言葉を詰まらせた。
「・・・・城之内?」
黙っちまったオレを、不思議そうに海馬が見てる。
「・・・・合法的な援助交際に限りなく近いカンジ」
本田がオレに一番初めにいった言葉を口にする。
「・・・なんだそれは」
訝しげな顔をして問いただそうとする海馬に、何故か返す言葉を見つけれなくて、なんだかものすごく後ろめたい気分になったオレは、ガタン、と椅子から立ち上がった。
「じゃあオレ、バイトに遅れっからもう行くぜ!」
「城之内?」
そう呼ぶ声を振り切りようにして、オレは海馬の部屋を後にした。
***
「ヨォ、城之内ィ!」
振り向くと、ランドセルを背負ったモクバが大きな声で俺の名前を呼んでいた。
「モクバ?」
一緒に帰ってた遊戯や杏子達とも別れた帰り道、通り過ぎた駅前のゲーセンからヒョコッと顔を出していたのは、見知った顔で。
「なんだ、下校途中にこんなとこで道草かよ?悪いガキだなぁ」
走り寄ってきたバサバサな長い髪をグシャグシャにすると、キーッと暴れら
れた。
「なにすんだよっ!負け犬〜!」
「痛ッ!」
髪に伸ばしたオレの手の甲に思いっきり、爪を立てやがった。
「自業自得だぜッ」
フンッと満足そうに笑ってふんぞり返る仕草を見ると、血は争えないなー・・・と実感させられる。実感、っつか笑えるンだけどな(笑)。
「なぁ。兄様さぁ、今日学校行ってた?」
これから歩いて家に帰るというから、送るついでにブラブラと話しながら一緒に歩いた。少し後ろにちゃんとモクバのSPらしい背広姿が後を追ってきてるのがわかる。この前モクバにまんまと撒かれたせいか、今日は二人もついてるぜ。
「海馬ぁ?来てねぇよ。朝早くから仕事に行ったみたいだぜー」
澄ました顔でフフン、とそう言うと、口を尖らせてオレの学生服の裾を引っ張ってきた。
「なんで城之内がそんなこと知ってんだよ!吐けッ!」
ちっさい手でそれでもグイグイと上着を引っ張られてバランスが危うくなる。
「だぁー!もー!離せってば!オレがコケるっちゅーの!」
仕方なくまとわりついてくる身体を引きはがすと、その腰を掴んで肩に抱え上げた。
「ギャーーーー!!!!!」
モクバは急に視界が一転した恐怖とパニックでなのか、だらんと上半身が宙づりになったままオレの背中をバンバン叩いてくる。
「まいった、まいった(笑)」
しようがなしに小さい体をアスファルトの着地させた。
目をグルグルさせたモクバは、精一杯の虚勢を張って仁王立ちになってる。
「あんまり子供扱いしてると、ブッ殺すぜ!」
チビッコギャングみたいなのに、そんなこと言われても怖くねぇっつの(笑)。
「昨日、海馬の部屋に泊めて貰ったから知ってんの!」
「なんで?なんで城之内なんかが?」
なんの悪気もなく他人を(なんか)呼ばわりしてくれちゃう感性は、本当兄貴と一緒だな。
「ああ・・・オレ、昨日家飛び出してどこも行く場所なくてさ、夜中にふらついてたら通りすがり海馬の車を見つけたんだよ。そんで、ごねたらオマエの兄貴も渋々泊めてくれたんだ。オマエの授業参観の借りを返す、ってさ」
ちょっと焦ったみたいな顔をしてるモクバの頭をよしよしと撫でた。
「ふぅん・・・オレさぁ、兄様のあの部屋、なんか好きになれないんだ」
そう言ったまま、モクバは俯いてしまう。
「だって何にもないんだもん。兄様、あんな殺風景なとこにいて寂しくなんねぇのかなぁ・・・」
そんなこと言い出したら、海馬がいない間、あんな広い屋敷に使用人と自分だけで、寂しいのはオマエの方だろうに、こんな時でも兄貴のことを気にしてるのがなんだかいじらしかった。
「あの冷蔵庫にあった食い物って、オマエが持ってったのか?」
アスファルトに伸びている、並んで歩くオレとモクバの影。歩くパースが違うから、モクバが必死で早歩きをするみたいに俺の横を歩いていることに、その影の動くテンポで気づいて速度を落した。
「ああ。この前、兄様にホットケーキを焼いて食わせたんだ!なんかあったならその残りだろ」
ひょいっと、オレの顔を見るみたいにモクバが顔を上げて得意げにニーッと笑う。
「おまえそんなのひとりで焼けるんだ。スゲェじゃん」
モクバは年相応の屈託がない笑顔をちゃんと持っていて、これがきっと、海馬が自分の命を張ってまで守ろうとしたものなんだろうなぁ、とオレは思った。
「この前、家庭科の時間にやったんだ!オレ、隣の女子より上手く焼けるんだぜぃ」
先週、モクバの授業参観についていった時に、綺麗に剥いたリンゴを得意げに差し出していた表情が目に浮かぶ。
「なんかオマエの学校は家庭科ばっかやってねぇ?この前はリンゴだったし(笑)」
笑いながらそう言った。
次の角を曲がったら、海馬邸の正面に出る。
何度見てもでっかい家だよな・・・。白い外壁から随分奥まった場所に、映画に出てくるみたいなでっかい洋館が見える。モクバの姿を確認すると、外車が2台は併走できそうな幅がある格子門がキィーッと観音開きになった。
「城之内!ちょっとそこで待ってろ!」
待ってろって、ここで?
モクバは言うが早いか、バタバタと屋敷に向かって伸びる道の先に姿を消した。そしてオレとモクバの後に付いてきた二人組のSPが、きちんと会釈をしてその後を追っていく・・・本当にご苦労様だ。
まぁモクバに待てと言われたとおり、オレはそのまま入口の門のところにボンヤリと突っ立っていた。しばらくして、バタバタと大きい封筒を手にしたモクバが寒さで顔を赤くしながら走ってくる。
「これ、兄様に届けてくれよ」
そういって、オレに封筒を押しつけてくる。
モクバは怒ってるみたいな、拗ねたみたいな顔をしていて。
「・・・なぁこれ、オレなんかが渡していいようなモノか?」
その封筒を手にして、ちょっとオレは屈むようにしてモクバと同じ目の高さでそう聞いてみる。
「オレさぁ。」
ちょっとフフンと笑って、モクバがオレの目の前に、パンチを繰り出してきたのをパシッとふさがってない右手で受け止める。
「城之内のこと、これでも結構買ってんだぜィ。だから、なぁ。渡してきてくれよ」
モクバの真意が測れなかった。この悪ガキが、一体どんないたずらを考えてくれているのかが。
「わかった。でも追い返されたらそんときはゴメン(笑)」
自信なさげにそう言ったら、モクバは遠慮無くゲラゲラと笑いだした。
「多分大丈夫だぜぃ。心配すんなよ、城之内」
何が大丈夫なんだか・・・。
モクバはニヤニヤしたままで、感じが悪いったらない。
「そんじゃーオレも一回家に帰るから、夜にでも届けておいてやらぁ。」
二日ぶりに家に帰ったら、やることが山積みになってるはずだ。とりあえず掃除・洗濯・買い物か。あーあ。
そう言って手を振るモクバに、自分の手を振り返しながら歩き出す。
「・・・昨日兄様がオマエを泊めたってんなら大丈夫だろ?だってあの部屋、ほんのこの間まで、オレでさえ入れてもらえなかったんだからサ(笑)」
と、まぁこれは遠ざかるオレの背中を見送った、モクバの独り言だったけど。
***