hard to say
act07

 ソファーに横になっていつの間にか眠ってしまったみたいだった。開けたままだった窓の外からしとしとと雨が降る音が聞こえてくる。
 
        雨の日は嫌いだ。
 
 読みながら眠ったせいで床に落としてしまったペーパーバックを拾い上げる。童話めいた幻想小説。普段なら手に取ることもないような1冊。昨日来ていた遊戯が忘れていったのをパラパラと読んでいるうちに眠くなったのだ。
『瀬人様。お食事の用意が調いましたが』
 ドアの向こうから聞こえてくる声に柱時計を見ると、もう昼前を指していた。日曜とはいえ、ここ数年こんな時間まで寝ていたことなど無かったから、心配をしたのか執事が様子を見に来たのだろう。
「すぐに行く」
 廊下に立つ老人に聞こえるようにそう答えた。
 身体を起こすとおかしな寝方をしていたせいで身体の節々が痛かった。そろりと床に足を着くと、生暖かいものが触れてきた。
 
 キュアー キュアー
 
 甘えるような鳴き声に手を伸ばしてる。まるで雛が親鳥に餌を強請るみたいにギリギリいっぱいに俺の顔を見上げていた。
「ブルーアイズ」
 そう呼ぶと、鷲ほどの大きさの自動人形が、バサバサと羽ばたいて肩に乗ろうとする。あとの2匹はまだ眠っているのだろう。部屋の隅で寄り添うようにしてうずくまっている。
 まとわりついてくる人形に好きなようにさせながら、俺は外したままだったシャツの釦をキチンと留めなおしていく。部屋の奥にあるバスルームで顔を洗う間、バタバタとベッドの辺りを飛んでいた自動人形も、ダイニングルームに向かうために部屋を出ようとすると、また甘えるみたいに肩先に止まってきた。そのままブルーアイズを連れて廊下に出る。ヒンヤリとした空気が、もう季節が秋に移行するのだと告げていた。
 
 がらんとした広いダイニングには、細長い食卓がポツンと置かれている。一番上座にとその反対側に用意された二人分の食器。席に着くのは俺一人だ。
 ついてきた人形は、大人しく俺が座った椅子の脇にうずくまった。
 食卓につくと、メイド達がパンとスープ、それにサラダと目玉焼きを運んでくる。並べられる湯気の上がった食事。同じ物が自分の座る向かいの空席にも並べられた。その空席の皿には誰も手をつけることがないまま、俺は一人の朝食を終える。
 立ち上がって、向かいの席に置かれた冷えたトーストを皿ごと手にとって窓辺に向かう。
 窓を開けてそのヘリに皿ごとトーストを置いてやる。小雨のせいかいつもより少ないが、広い庭のどこからか飛んできた小鳥たちが開いた窓を合図に集まって来た。
 席に戻ると、食事を下げに来たメイドがそれに代わって食後の珈琲をうやうやしく置いていく。その珈琲も勿論二人分だ。
 
『陰膳、といいましてね。日本に古くから伝わる習慣ですよ。旅に出た家人や行方不明の肉親がどうか飢えることなく無事でいるようにと、留守宅で備える食膳なんです』
 
 当時の屋敷の料理長が、いなくなった弟のせいで食事を取らなくなった俺を宥めるために、二人分の食事を用意してそんな話をした。それ以来、随分と長く続けられた習慣。
 
 子供の頃、養父に唯一俺が強請った我が侭だ。
 
(ならば瀬人、私にチェスで勝ったなら、その願い聞き届けよう)
 忌々しい養父という名のあの豚の下卑た笑顔を思い出す。
 
 あの頃は、ゲームと名のつくもので他人に負けたことなど無かった。今でもあの忌々しいヒトデ頭のチビにしか、俺はしてやられたことなどない。
 ヒトデ頭で思いだした。遊戯が昨晩、なにか言っていたな。
 
(モクバ君のことで、ちょっと面白い情報が明日入るかもしれない。気が向いたら連絡してみてよ)
 
 モクバ。
 その名を小さく口にして、先週、あの下町の路地での出来事を思い出す。俺が見間違うわけもなく、あれは長い間探し続けていた自分の弟に間違いなかった。
『俺だ。わからないのか?』
 薄暗がりの向こう側、飛行艇のヘッドライトに浮かんだ12,3歳の少年の姿。別れた頃と変わらない面影。
 
 声が。
 
 なによりその声が変わって無くて胸が痛んだ。
『誰だよ!』
 そう叫んだ声は、なんども繰り返し思い出そうと記憶を反復した弟のそれに違いなかった。みたこともない若い男が、モクバを抱きかかえるようにして(逃げるぞ!)と叫んだ。
 金髪に茶色い目をした品のない男だ。
 
 ふと足下を見やると、あの時俺についてきた自動人形が床上でウトウトと眠りにつこうとしてた。モクバと一緒にいなくなった海馬の家に伝わる3体のうちの1体。
 
 俺の目の前からモクバを奪い去ったあの男。調査書はまだ俺の手元に届かず、出来の悪い諜報部員のその仕事ぶりにイライラさせられた。
 
 モクバは、この海馬の家に俺が引き取られた来たときに、共に孤児院から連れてきた実の弟だった。
 
 養父に当たる海馬剛三郎は、若くにして一粒種だった実子を亡くした後、その実子と歳近い孤児の中から、頭のいい子供ばかりを寄り集め、ある競争をさせることで自分の跡継ぎとする子供をひとり選ぼうとした。問答無用のバトルロイヤル。勝てば戦前からの資産家の財と巨大企業の総帥の座が手に入る。負ければ元の孤児に逆戻り。
 最後の一人としてこの屋敷に残って随分立ってから、今は亡き前当主が孤児の中から嫡子の代わりを選ぼうとしたのは、彼自身も同じように孤児の中から勝ち残った人間だからだと聴かされた。この海馬という家は、血筋ではなくその能力でより相応しい人間が当主の座を継いでゆけばいい、と。
 
 繰り返されるのは血塗られた歴史だ。
 
 かつて豚がそうしたのと同じように、俺は豚をこの家の頂点から突き落とした。
 あいつが残した言葉に、たったひとついい言葉があったな、と窓の外の雨をみながら思い返す。
 
『瀬人、憶えておけ。人生という名のゲームにリセットはないぞ。』
 そう言い残して追いつめられた豚は自らの命を絶った。
 
        こんな秋の雨は好きじゃない。思い出さなくていいようなことばかり思い出す。
 
「モクバ・・・」
 あの小さな温もりが自分の傍らにあり続けていたならば、俺の心はここまで凍えることはなかったのだろうかと苦笑しながら、椅子の下ですっかり眠りこけている自動人形を腕に抱いてダイニングを後にした。
 
* * *
 


  まだ出来てない・・・・。