モクバは泣かない子供だった。
あいつが孤児院に貰われてきたときのことをよく憶えてる。童実野町がクリスマス一色に染まる頃、確か寒い冬の朝だった。
政府から派遣されたこの特別地区の養護担当が久々に新入りをつれてくるというので、朝からどこの班に振り分けられるんだろうという話が院内の至る所で話題になっていた。
当時、オレ達がいた孤児院は、子供達を年齢で縦割りのグループに分けてあって、そのグループ単位での集団生活を送らされていた。食事も、睡眠も、勉強も、奉仕労働も 詰まるところ、日常の全てはこのグループ単位で送ることになっていた。オレはあの頃9才くらいで、最年少の班長を押しつけられていた。10年前の大恐慌の頃に捨てられた乳児が多く収容された孤児院だったせいでオレより2.3才下の子供が多かったせいで、オレは年長扱いになっていた。
「新入りは克也の班だ」
そう言って寮父が連れてきた子供は、死んだ魚みたいな目をしていた。黒いボサボサの長い髪をしてるから、一瞬女子かと思った。班割は男女別になっているからすぐにそんなわけねぇか、と気がついたけど。
バサバサの黒髪に深い青色の瞳をしていた。綺麗な目だったけど、まるで何も映ってないんじゃないと思ってしまうくらいに感情のない瞳。
ぽつん、と置き去りにされた人形みたいだな、と思った。
顔の表情が極端なまでに乏しいのがその子供の人形臭さに拍車を掛けている。やけに高そうな黒いセーターに灰色の半ズボンを着せられている。寮父曰く、(親の形見なのか絶対離そうとしない)青いリュックサックを背負ってた。見るからにいいところの子供なのに、なんでこんなところに連れて来られたんだろう。
「迷子で警察に預かられてたんだが、身元引き取り人がなくてな。暫くここで預かることになった。わからないことはおまえが教えてやれ」
面倒くさそうにそれだけ言って、寮父は子供の背中をとん、と押した。そのまま倒れそうになる身体を、オレは慌てて抱きしめる。
「大丈夫か、おまえ」
そう言って背中に手を回してやったけど、子供らしい高い体温が掌に広がるだけで、ひとことの返事もかえってくることがなかった。
* * *
それから名前もわからないその子供を、オレは朝から晩まで面倒を見させられることになった。とにかく無反応なのだ。顔の表情がないだけでなく、起きあがることすらおっくうだと言いたいのか、初めのうちは一人でトイレにも行けないくらいに何も出来なかった。
モクバの持ち物といったら初めにここに来ていたときに着せられていた洋服と、決して一時も手放さず誰にも中身を見せようとしないリュックサック。それに首から提げられたロケットのようなペンダントだった。ロケットは壊れているのか、ペンダントトップの止めの部分がねじれて中が開かないようになっている只の鉄くずみたいなものだった。
「あー・・・とんでもねぇ貧乏クジじゃんよー・・・」
それでもその手を離すことが出来ずにその子供の面倒をせっせと見させられていた。名前もわからないと言うその子供を政府の処理済み書類の番号で呼ぼうとする寮父たちに怒り狂ったオレは、その子供に”シズカ”という名前を付けた。
「オレの妹の名前なんだけど、男の名前でもそんなにおかしくネェからいいよなぁ?」
そう訊いてみたところで、何の反応も返ってこない。
暗く青い瞳は、いつまでたってもオレの姿を映すことがない。それでもあの孤児院に来てから2度目のクリスマスが来る頃には、一人で食事やトイレは出来るようになっていた。その頃にはオレがいちいち手を引いてやらなくても、オレの後ろについて歩くようになっていた。少しづつ、目の焦点があってきてる気がした。
ちゃんとした声を聴いたことはなかったけど、夜中にうなされるみたいにあげる声は何度となく訊いていた。どんな恐怖にされされてこんな風になったのかと興味がなかったといえば嘘になる。でも興味と言うよりも、むしろどうしてこんな小さい子供がこんな風になるような恐怖に晒されなければならなかったのかと、ただただ怒りがこみ上げた。
”シズカ”はすぐに親が見つかるだろうと誰もが思っていたのに、その予想に反してまったくと言っていいほど肉親に関する手がかりが入ってこなかったらしい。孤児院では子供達も出来る限りの軽労働が与えられていたから、半人前分も戦力にならない”シズカ”は寮父や他の子供達に正直疎まれていた。いつでもオレの背中に隠れて動こうとしないことに苛立って大人達が手を挙げようとしたのを何度も庇ってはオレが殴られた。
理不尽な暴力はここに来て慣れっこだったから、別に辛いとは思わなかった。そうやってあの頃はまだ小さかった自分の背中の後ろ側に、もっと小さな身体を庇うように生活するうちに、”シズカ”の心は少しづつ開きかけてる気がしていた。一緒に暮らすようになって3年が経つ頃、返事こそまだしてくれなかったが、オレの問いかけには頷いたり首を振ったりして”シズカ”は自分の意思を伝えるようになっていた。
オレ達がいた孤児院は、12才になったら別の孤児院に移されることになっていた。もっと辛い仕事を教えるための教育機関が設けられた高等孤児院という施設へ送り込まれるのだ。そこに行って更に3年経てば最下層の労働者として、この社会の底辺に送り込まれる。
でもまぁそこにいさえすれば当面の食事や布団に困ることはない。でもその先には未来らしい未来がないことにオレでさえ気づいていた。
オレと”シズカ”があそこで最後に送った冬のことだ。
孤児院の側に捨てられていた前世紀の遺物的な型落ちのコンピューターを”シズカ”が拾ってきた。アタッシュケースのようなノート型のマッキントッシュ。誰もがそれはせいぜい電卓代わりにしかならないオモチャのようなモノだと思ったのだろう、オレとモクバがそれを部屋に持ち込んでいることに何の文句を言ってこなかった。
驚くことに口を利こうとしない”シズカ”は、オレにはサッパリわからないそのコンピューターを、あっさりと違法に政府の電子ネットワークに接続し、かんたんなハッキングを披露して見せた。
あの時のことを多分一生忘れないと思う。
「すっげー!”シズカ”!!おまえ、すげーんじゃん!」
そういいながら、ガシガシとその長いバサバサの髪を引っかき回した。次の瞬間、パソコンのディスプレイから背にして振り返った”シズカ”が、初めて笑ってオレの顔をちゃんと見たんだ。そして初めて口を開いた。
「・・・モクバ」
かわいい、子供らしい声だった。ちょっと高めのボーイソプラノ。
名前らしき言葉を呟くモクバは首から提げたまま片時も離さなかったペンダントを外して、その潰れたようなロケットの裏側をオレにみせてきた。そこには小さく「MOKUBA.K」と刻まれている。よく見なければ見逃してしまうような小さな細工のアルファベットだった。
「なんだ、ちゃんと名前があったのかよ 。」
オレが驚いていると、更に風呂にはいるときさえ離そうとしなかったリュックを開いて中身を床の上にひっくり返した。
「シズ・・・モ、モクバ?」
中からゴロン、と出てきたのはまるで超合金で出来たロボットのようなモノだった。グロテスクな・・・怪獣のようなもの。
「ブルーアイズ」
ハッキリとした発音でそう言った。
その瞬間、キュワーッという鳴き声がして、その鉄の塊がバタバタと翼を広げた。
* * *
それから暫くして、オレはモクバを残して孤児院を出て行くことになっていた。その時、オレにはひとつの考えがあった。このまま単純労働しかさせて貰えない奴隷じみた生活が待つ高等孤児院に行くのではなく、ダウンタウンに逃げ出して、なんとか一人分の食いぶちを稼いで生きていくことは出来ないかということだった。事実、オレより2つ上で高等孤児院行き寸前にここを脱走したの上級生がそういうにして暮らしているのを知っていた。オレのことを気に入ってくれていた彼は、脱走後もひっそりと連絡をくれていて、”おまえにその気さえあるなら仕事を教えてやる”とまで言ってくれていた。
オレの心は多分早い段階に決まっていたと思う。
ただ、このままモクバをあそこに残していくことだけが気がかりだった。オレがそのまま高等孤児院に進めば、またモクバにあうことは出来る。でもオレがいなくなってモクバがここでどんな扱いを受けることになるのかは安易に想像がついた。オレがモクバを庇って殴られてきた何倍も殴られることになるだろう。
モクバが笑ったのは、結局あの一度きりだったけど、あの子供らしい笑顔が心に残って仕方なかった。
* * *
「子供が逃げ出したぞ!!」
夜中に怒号のような声が廊下に響き渡る。
「城之内だ!6034号が逃げ出した!!」
寮父が子供達を番号で呼ぶ癖は最後まで抜けることはなかった。高等孤児院に子供を送り込めば、孤児院にはいくらかの補助金が政府から下りることをオレは知っていた。
「モクバ!」
最後のチャンスだと思った。
もし、モクバがオレについてくる気があるのなら、オレは一生のコイツの手を離さないでいてやろうと思った。
「モクバ!!」
一度正面から抜け出した部屋の外からモクバの眠る部屋のベッドの窓を開く。モクバくらいの大きさの子供なら、その鉄格子を抜けることが出来る、そう踏んでいた。
事態を把握しているのか、モクバは顔を強ばらせてオレを見た。
「・・・一緒に行こう!オレについて来てくれよ!!」
あの時、7つになったばかりのモクバに、オレの叫ぶ言葉の意味がどこまで伝わっていたかはまるでわからない。ただ、オレがいなくなってしまうということは、小さなモクバでさえも悟れたのだと思う。
「・・・!」
鉄格子から、小さな手な手が必死に伸ばされた。
「・・・城之内!城之内!!」
アレが初めてオレの名前をモクバが呼んだ瞬間だった。あの笑うことも泣くことも知らない人形みたいだったモクバが、青くて綺麗な大きな瞳からボロボロと涙を零しながらオレの名前を叫んでいる。
あの後、どうやって子供をひとり担いで夜の街を走ったのか、全然憶えていなかった。
まるで初めて覚えた言葉のように、オレの背中でオレの名前を泣いて叫び続けるモクバを落とさないようにとだけ気をつけながら、廃墟に埋もれかけたダウンタウンにオレ達は初めて足を踏み入れた 。
* * *