こぎつねと猟師

 

* * *
 
 こぎつねはひとりぼっちでした。
 
 そしてひとりぼっちだったからこそ、どこか一所いなくともよい、とても自由な身の上でした。でもずっと一人だったわけではなく、こぎつねには弟がいたはずでした。自分より一回りも二回りも小さな弟は、いつもこぎつねの後ろをついて歩いてました。
 覚えてはいるのです。
 でも気がつけばひとりぼっちでした。
 星が瞬くのをふたりで見上げた日々は確かに記憶に残っています。なにより、兄サマ、兄サマ、と自分を呼ぶ甘い声が、こぎつねは忘れられないのでした。

 
 いったいあの子は何時いなくなってしまったんだろう?

 
 色々なことが抜け落ちたような記憶を必死で埋めようとしても、それはまるでひびの入った瓶で水を汲むような作業でした。すくってもすくっても、何時の間にか零れてなくなってしまうのです。
 
 あの頃、こぎつねにはとてもお気に入りの場所がありました。あの頃、というのはこぎつねの中に残されたなかでは一番古い記憶がある頃のことです。
 
 その頃、こぎつねが暮らしていた深い深い森の中にたった一本だけしかない珍しい木がありました。いつからその場所にあるのかは、森に住むどんな動物も知りませんでした。それは、花は咲けども実のなることはない大木だったのです。
 その大きな木の根元はこぎつねのお気に入りの場所でした。
 深い意味などはありません。初めてその森へやってきたときに眠ったのがそこだったからです。
 こぎつねは、毎晩、餌を集めて食べて疲れ果ててはその木の根元に戻ってきて、小さな身体を預けるように眠りました。そしてたまに気が向けば、川から汲んできた水を、その根元に垂らしてやったのです。固くてパリパリとした深緑の葉っぱが風にそよぐ音を、子守歌代わりに聞いて寝むる日々でした。
 
 それはこぎつねがそこで眠るようになって初めての秋の、月の綺麗な晩のことです。
 
 眠っていたこぎつねは、息苦しくなるくらいの甘い香りに目を覚ましました。
 ぱちりと目を開けて自分の上に生い茂る木の枝を見ると、橙色をした小さな花が幾つも幾つも花開いています。米粒ほどの大きさのそれはまるで房なるように咲き、驚くくらいに甘くていい匂いがこぎつねの寝床に立ちこめました。
 
 寝ぼけまなこを擦るようにしたこぎつねがゆっくりと起きあがり、その橙色の小さな花に触れようとしたとき、ぽぉっと、木に咲いた花という花が仄かに光りを帯びました。
 
(おまえは)
 
 掠れるような声が聞こえるみたいでした。
 
(なにを探しているんだい?)
 
 こぎつねの耳のうんと奥で、誰かがささやいているような。
 
(わたしも探しものをしてるんだ。おまえがこのところ水をくれたお陰でね、今年はこんなに立派に花を咲かせることが出来た)
 
 ザワザワと、葉が擦れる音しかしてないはずです。
 
(だからお礼に願いをひとつ叶えてあげよう、この花が散るまでの間しか続かない魔法をひとつ)
 
 なんて都合のいい話だろう、こぎつねはそう思いました。
 けれどこぎつねには願いがあったのです。
 忘れることなどできない願いが。そのために毎日生き延びてきたのだと言っても過言ではないほどの。
 
「・・・じゃあ弟に逢わせてくれ。俺はひとりぼっちじゃないはずなんだ」
 
 見上げた明るく光る木に向かってそう言うと、まるで困っているかのようにザワザワと木が揺れました。
 
(それは困った。私は探しものを見つける魔法をなくしてしまっていてねぇ。そのお陰で逢いたいものにも逢えずにここにいるのさ。だからおまえのその願いを聞いてやることは出来ないけれど・・・そうだ、かわりにおまえを人の姿にしてあげよう。そうしたらおまえは、ふもとの村へ自分で探しに出れるからね。今の姿じゃ、人間にずどんと撃たれて食べられてしまうからね。きっとおまえの捜している子は、人の住む場所にいるはずだ。)
 
 そんな風に言ったあと、ひときわ明るく瞬いた小さな花がひとつ、こぎつねの上にゆっくりと降ってきました。それがこぎつねの頬に当たった瞬間、なんだか頭がくらくらとして意識が遠くなりました。
 

 

 
 
まだつづく。