「おい。起きろ」
しばらく眠る猟師の腕のなかに大人しく収まっていたこぎつねは、まったく起きる素振りのない様子に呆れて、猟師の頬をパチパチと叩きました。
「んあ…」
大きく開けた口からよだれが出そうなだらしない顔に呆れながら、こぎつねは猟師の腕からごそごそ抜け出しました。
「…おい。まだ熱があるんだろう」
慌てて起きあがった猟師は、ふらふらとした足取りで土間に降りようとするこぎつねの肩を掴みました。
「うるさい。はなせ」
その手を振り払おうとするこぎつねの手を掴んだ猟師は、まるで犬猫でも抱えるようにこぎつねのを抱き上げて両腕に抱えました。
「このばかっ!やめろ!!」
暴れるこぎつねを抱いたまま、猟師は下駄を履いて家の外に出ました。朝陽がちょうど向かいの山裾から顔を出すのをみて、こぎつねは、自分が丸一日眠っていたことに気がつきました。
「…いつも、ありがとうな」
急に猟師がそんなことを言うのでこぎつねはその表情を見ようとしましたが、照れくさいのか、ワザと顔を背けられました。
「なにが」
こぎつねがそう言うと、大きな手が伸びてきて、こぎつねの髪を優しく撫でました。
「ずっと食べるものを運んでくれていただろう。おまえみたいに小さいのが、毎日大変だったろうに」
………こぎつねは、誰かになにかをしてやることも、それを感謝されることも知らずに育ったので、猟師にそんな風に優しい声でお礼を言われてどきどきしたのです。
なんだか妙に照れくさくて、恥ずかしくて、「大したことじゃない」と小さな声で言って、猟師の肩口に顔を埋めました。
猟師はこぎつねに道を教えられるままに、山の奥へ奥へと入っていきました。途中に見つけた栗の実やきのこを集めながら、すっかり陽が昇って明るくなった頃、ようやくこぎつねと猟師はあの葡萄の木が生える崖までたどり着いたのです。
「降ろせ」
こぎつねが強い口調でそう言うので、不安そうに猟師はその身体を自分の腕からおりしてやりました。
小さい身体だから出来るのでしょう。するすると小高い崖を登ったこぎつねは、葡萄の枝に手を伸ばしてその実をもぎ取ると、下からその様子を不安げに見上げている猟師に向かって投げ落とします。
もともと淘汰されて残った僅かばかりの実しかついてない葡萄は、あっという間に全部採り終わってしまいました。こぎつねは最後のひとつを投げ落とすと、今度は慎重に枝だから降りて、ゆっくりと崖を下ってきました。こういった険しい足場は、登るときよりも降りるときの方が危ないことを知っているのです。
「これがとりたかったのか?」
見た目のよくない葡萄を眺めて猟師が不思議そうな顔で自分を見るのが恥ずかしくて、文句を言おうとした瞬間、また頭がくらくらして、こぎつねはその場にぱたりと倒れてしまったのです。
秋も深まった朝の山道を長く連れて出たせいでしょう、こぎつねはまた熱をぶり返した様子でした。
猟師はこぎつねの身体を抱え上げて、慌てて来た道を戻りました。麻袋に入れた収穫を無意識に掴んで離さないのがなんとも可哀想で、猟師はぐったりしたこぎつねの頭を何度も撫でながら家路を急ぎました。
その道すがら、もう神社から貰ってきた薬も底をついてしまっていることを思い出しました。
(またあれを貰ってきて飲ませねぇと…)
そう思いながらずいぶん急いで山をおりたせいでしょう、いきにかかったよりもかなり早くに猟師の家が見える場所まで戻ってくることが出来ました。猟師はそれを見て、たとえ誰も待つ人がいなくとも、帰る家が見えたということがこんなにも自分を落ち着かせるんだなぁと思いました。
なんだか腕に抱いているこぎつねの身体がどんどん冷たくなってきているような気がして、猟師は背中に気味の悪い汗が流れるような気持ちでいっぱいだったのです。
「…もう葡萄は食べたか?」
やっと帰り着いた家で、布団に横たわったこぎつねが猟師に向かってそう尋ねました。熱でぼんやりしてるのか、焦点の定まらない目でじぃっとこちらを見つめています。
こぎつねのために冷たい水で手ぬぐいを絞り、はやく薬をなんとかしようとばかり考えていた猟師は、こぎつねの言ってることの意味がわかりませんでした。
こぎつねは、いっこくもはやく猟師に葡萄を食べて貰いたくて、そのことで頭がいっぱいだったのです。
「ああ、食べた。食べたから、もう喋るな。頼むから、熱が下がるまで大人しく寝ててくれよ」
猟師は泣きそうな声でそう言いました。
「………」
こぎつねは、思い出したのか?と聞きたかったのですが、自分の名前さえ忘れてしまったままの猟師がなにか思い出したわけもない、と、真っ暗な気持ちで熱にうなされたまま目を閉じました。