こぎつねは、(もうあいつは俺のことなんて覚えてないんだな)と心の底から実感していました。
猟師はどこかにいってしまったみたいで、こぎつねは冷たい布団にひとりぼっちでした。
(結局、あの葡萄でも思い出さなかったな…)
これでもう、自分にはどんな手段も残されていないと思いました。そしてそう思った瞬間、こぎつねは途方もない虚脱感に襲われました。
自分ばかりが覚えていて。
自分ばかりがあいつを好きで。
そんなのは全部、なんてバカらしいんだろう!と泣きわめくことが出来れば少しは楽になるのかと思いました。
初めて逢った頃の姿になれば猟師が自分のことを思いだしてくれるだろうと思ったのに、上手くはいきませんでした。
人間の姿になったのなんて、あの子供と過ごした秋の日以来だったのです。あれから何度も四季はめぐり、秋はやってきましたが、年老いた山吹色の花の木はあのあと何年も花をつけることがなく、寝床に帰るたびにこぎつねが話しかけても、もうなんの言葉も返ってこなかったのです。
………猟師に鉄砲で撃たれたあのとき、こぎつねはこのまま死んでしまうのは嫌だと強く強く願いました。
べつに死ぬことが怖かったわけではありません。ただ、このまま猟師に思い出してさえ貰えずに死んでしまうのは嫌でした。そしてこぎつねは痛みにうずくまりながら、こんなきつねの姿でなければ思い出してもらえるんじゃないかと考えたのです。だからこぎつねは、ただ強く願いました。もう一度だけ人間に姿にしてください、と。そして気がつけば、願った通りの姿になっていたので、ああ、自分の気持ちがあの木に届いたのだと思いました。
確かに猟師はこぎつねに、あのときの子供のように優しくしてくれました。けれどこぎつねの名前すら、思い出してはくれませんでした。
だからこぎつねは、もしかしたら猟師はあの幼い頃に逢った人間の子供ではないのかもしれないと、実際何度も思ったのです。
でも笑った顔があんまり同じで、それを見るたびに『間違ってない』と思いました。こぎつねにとって一番楽しかった日々が、あいつにはなんてことのない日々だったと思うのは辛くて、胸がギュウッと苦しくて、なんだか目の端がジンジンするのです。
これ以上、ここにいても仕方がない、と思いました。
ちょうど猟師は『薬を貰ってくるから』と言って、出て行ってしまったままです。
………………いますぐここを出て行こう。
こぎつねは、強くそう思いました。あの花が散ってまたきつねの姿に戻ってしまったら、どうせ猟師とはこんな風に一緒にいれなくなるに違いありません。
布団から起きあがったこぎつねは熱のある身体でゆっくりと立ち上がり、土間に置かれた山吹色の下駄を履くと、ふらふらした足取りで猟師の家をあとにして、危なげな足取りで山の奥へ奥へと入っていってしまいました。