青天の霹靂
act.6


 俺が自室と書庫に籠もっている間、どうやらモクバはずっと城之内と遊んでいるらしく、部屋の窓下から何度も歓声が聞こえてきた。
  モクバがこんなに休みを取るのは俺ほどではないにせよ、随分と久しぶりのことだった。声を追って弟の姿を探して窓の外の庭先へ視線を向けると、バタバタと音を立てて鳥のようにブルーアイズが羽ばたくラジコンを操っていた。
  あの男も目が見えないくせにそんな遊びにつきあって何が楽しいのだろうかと思う。しばらくの間眺めていると、視線に気がついたのか、モクバがブンブンと手を振ってきた。

 こういうとき、俺はいつもどうすればいいのかよくわからなかった。
  なんだか照れくさくなってそのまま窓を離れて書庫に戻る。手を振り返してやればいいのか、笑顔でその名を呼んでやればいいのか、どれも自分には不似合いな行動のような気がして躊躇した。
  あのモクバの横で脳天気な笑顔を振りまいているあの男なら、もっと気の利いたことをしてやれるんだろうか、と今見たばかりの弟の笑顔を思い出しながらそう考えて忌々しく思った。

 あの男が現れて四日目の夜のことだ。
  城之内は夕方になるといつもモクバに付き添われて病院に診察を受けに行っているようだった。
  放置したままだった論文の中に、MITの学生が書いたという面白い考察があって、それに夢中になっている間に時間が流れるようにすぎていくのがわかった。辞書を手放す時間が惜しくて、食事は部屋に運ばせた。巨大空間でのバーチャルリアリティーをより迫力のあるものにするためにこの理論を応用することが可能なら、相当のロイヤリティーを支払ってでも早急に契約を結びたいとまで考えていた。
  参考資料になりそうな過去の論文を書庫から引きずり出してきて照合していると、部屋のドアを叩く音がする。
  ふと顔を上げると夜中の0時を過ぎている。こんな時間に一体誰が何の用だと思いながら、初めは無視していたが、あまりに諦め悪く叩くから、イラついて叫んだ。
「誰だ!こんな時間に…っ」
  ガタン、と立ち上がって乱暴にドアを開く。
「あの…あんたの弟がいねぇんだけど」
  ドアの外にはパジャマ姿の城之内が突っ立っていた。
  カッとなって怒鳴りつけてやろうと思っていた俺は、言われた言葉の意味が、一瞬理解できなかった。
「弟…?」
  モクバの他に、弟などいるわけもないのに、首を傾げそうになる。
「…もう夜中だぞ?いったいどこに行くって言うんだ。」
  バタン、と勢いよくドアを全開にしようとした瞬間、ガシャン、と何か倒れるような音がした。
「えっ?!」
  驚いたような声を上げたのは城之内で、俺は黙って外に出て、ドアの外で倒れたものを確認する。銀のトレイに置かれたエスプレッソと焼き菓子の載った皿。
  そういえばさっきも誰かがドアを叩いていたような気がするが、夢中になっていて気がつかなかった。
「さっき、兄サマにコーヒーを持って行くんだっつって張り切って出てったんだけど、帰ってこねぇからさぁ…」
  そうだ、夢中になっていて、あんまりドアを叩くから、あのときもさっきと同じように怒鳴ったんだ。「うるさいっ!」と…。
「―――――――…」
  口を開こうとした瞬間、バキバキバキッと枝が折れる音が窓の外でする。
  慌てて俺は窓際へと走る。城之内はそれよりも早くに何かを察した顔をして、壁をたぐるようにして1階へと向かうのが視界に入った。
「モクバ!」
  カーテンを引きちぎる勢いで開いて窓を開けると、その正面にある桜の木の今にも折れそうなか細い枝に、モクバが両手でぶら下がるようにしがみついていた。
「どうした?!いったいそんなところで何をやってるんだ!!」
  混乱して怒鳴りつけてしまったら、普段滅多に涙を見せたりしない弟が、まるで火がついたように泣き出した。
「…兄サマにはっ本当はオレなんて必要ないんだろっ!」
  その言葉に頭が真っ白になる。
「どぉせオレなんか足手まといなんだ!どんなにがんばっても兄サマはオレなんか欲しがってくれないんだ!!」
  悲鳴のような大声に使用人達も起き出してきたようで、今にも落ちそうになっているモクバを見て悲鳴を上げた。この窓と同じくらいの高さはある枝だった。下手に落ちれば怪我では済まないかもしれない。
「馬鹿なことを口にするんじゃない!」
  そう叫んだ瞬間、俺の立つ窓の下から大きな声が聞こえた。
「おい!チビ!!」
  モクバに向かってそう叫ぶ。
「降りてこいって!ほら!!兄ちゃんも心配してっぞ!」
  いつの間に下に降りたのか…どうしてあの目でモクバのいる場所がわかったのか。
「兄サマはオレなんかいない方がいいんだ!」
  その言葉が深く胸に刺さる。
「…そんなわけ、ないだろう…!」
  窓の手すりを叩いてそう叫ぶ。
「ほら!オレが受け止めてやるから飛び降りろ!!」
  城之内の声に、モクバは泣き声を更に強めた。
「兄サマぁ!怖いよぉ!!」
  そんなに離れていないというのに、今の自分の位置からでは、どうしてやることもできなくて、足が竦んだ。
  モクバがいなくなってしまうビジョンが頭のなかを点滅信号のように通り過ぎる。
「見えなくても絶対受け止めてやるからっ!こっちにむかって飛び降りろ!!」
  そう叫ぶ声の後、バキッと一段と高い音がして、俺の目の前からモクバが消えた。

 どさり。

 鈍い音がして下を見れば、落ちてきたモクバを抱きかかえるようにした城之内が、地面に仰向けになって倒れ込んでいた。

***